満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

障害支援区分認定その後

前回の記事の続き。

 

結局、審査請求は行わなかった。
相談員さんが代理で書類を提出に区役所へ行ってくれたのだが、保健福祉課の担当の人がとても熱心な人で、審査請求する前に話を聞きたいとうちまできてくれた。
地域担当さんと上司さん。
彼らが仰るには、平成28年に審査請求を起こした人の結果がまだ出ていない上に、医師がたくさん資料を用意しても負けそうな気配だと。
そして審査請求の結果が出るまでは受給者証は発行できない(つまり訪問介護に来てもらっても事業所は請求をかけられない)。
そこまでして審査請求をするよりは、一旦区分5を受け入れ、しかしながらいきなり70時間も減らすことは難しいので、移行期間として数ヶ月分以前と同じ時間数をもらえるように区から大阪市に協議を申し入れ、その時間数を支給してもらった上で区分変更をかけてはどうか。
協議の結果は保証できないけど頑張りますと言ってくださった。

年単位で事業所が請求をかけられない状態になるというのは、いくらなんでも無理である。
そんなの、事業所を人質にとっているようなものではないか。
審査請求ってなんなのだろうか…。

 

区役所の人たちは医師意見書も見たそうだ。
すると、医師意見書がすごく軽く書かれていて、あれで区分6はちょっと…という感じだったそうだ。なぜ3年前はいけたか逆に不思議、みたいな(笑)。
あー…私、主治医に診察の時「どうですか」と訊かれても、せいぜいが「ちょっと眠れない日がある」「肩が凝った」「この前お腹痛くなったけど治った」くらいしか言っていない。そりゃあ主治医も私の生活を知らないわけだ。
普通は医師意見書を書くにあたって患者に聞き取りもするのだろうが、私の場合3年前もその前もスムーズに進んだので同じでいいやと思われたのだろう。
主治医は悪い人ではないが熱心な方でもなさそうで、飄々としている。
それが今回は仇となったようだ。

区役所の人たちのアドバイスに従い、区分変更をかけるにあたり、
医師に現状を詳しく訴えることにした。
しかしいきなりシリアスな話はできないので(笑)、書面を作成。
私の趣味は表や書類の作成である。
相談員さんが診察の時に来てくださって、現状の説明もしてくれた。
訪問調査の内容などはもうこれで区分5だったらどうしてくれよう、という感じ(前回と同じ)なので、あとは主治医がどれくらい理解してくれるかにかかっている。
頼みます先生…。

で、大阪市と区の協議の結果、あと数ヶ月間は十分な時間がもらえることになり、
やっと受給者証も発行された。
とりあえずは一安心である。

 

そして区役所の、熱心な担当の方は異動になった。
うちに来られた翌日が異動の発表日と言ってらして、ええ異動になっちゃったらどうしよう、と私と相談員さんが言うと「大丈夫です、ちゃんと引き継ぎますから!」と言ってくださった。
異動前にすばやく大阪市に協議をかけてくださったそうだ。
いい人だ…。

 

手は尽くした(私以外の人たちが)。

あとは、頼むぜ大阪市

 

厄介なことになった。

以下、Twitterに投稿しようとしたのだけどあまりに長くなるし、どう考えても内容的にここに書くべきやん。ということで久びさに。

 ----

なんかもう発信とかあんまりするつもりなかったけど、相談員さんがびびってるし発信してみようかな。

障害支援区分認定について。
障害支援区分とは、障害者総合支援法第4条第4項で規定される「障害の多様な特性その他の心身の状態に応じて必要とされる標準的な支援の度合を総合的に示すもの」。

私は2011年から四肢麻痺で区分6(最重度)の認定を受けており、2011年の退院直後から半年は月300時間、それ以降は月266時間の重度訪問介護を受けることができるとされていた。
最大が月266時間であるが、実際は238~256時間くらいが多いと思う。毎月自分でも記録している。当然未使用分は請求しない。

スケジュール上は1日7~8.5時間、やるべきことが早く終わった場合は30分毎に切り上げることもある。買い物や調理はかなり効率化しており、余計な時間はかけていない。
3年前に区分の再認定があった時は区分6で通り、今年の再認定に向けての申請も今までと同様に出した。身体の状況に大きな変化はなかったので。小さな変化はたくさんあるけど、例えば1人でトイレにいけるようになったとか、1人で着替えができるとか、1人でベッド-車椅子間の移乗ができるようになったとか、そういうことは全然ない。

区分認定は訪問調査と医師意見書を元に認定審査会という組織で行われるらしい。
何故か今年は区分5という結果になった。
私の状況は何も変わってないのに。
むしろ3年前はまだ日曜は親が来てたけど、今は体力の問題で来られなくなっているのに。

その通知を受けて、私を担当している計画支援相談員さんに再審査請求をしてもらった。改めて訪問調査を受け(それまで自分だけで受けていたがこの時は相談員さんとヘルパーさんに同席してもらった)、散々待たされて結果は再び「区分5」。
何の説明もなく、結果通知書が送られてきた。

区分5の場合、受給できる重度訪問介護の最大時間は月195時間になるらしい。
なんか加算とか目一杯詰めて、195時間。
前の月まで支給されていた266時間との差、なんと71時間。
私の何が変わったの?
立てない、歩けない、移乗もできない。
更衣もできない、当然トイレも入浴もできない、部屋から出ることももちろんできない。
この3年でいちばん大きな変化といえば化粧水を手作りするようになったことくらい。
それがなんか関係ある?

 

「この結果を受け入れるべき?」

 

全然納得がいかない。し、月195時間で収める方法も思いつかない。
いや方法は相談員さんが考えるのだけど、それには例えば通所サービスで食事と入浴を賄うとかそういうことが必須になってくる。
そして通院リハビリも減らさなければならない。

 

じゃあどうして、今まで普通に暮らせてたのかな?
急に今年から自宅だけで生活を営めなくなる理由は何かな?
わからない。

結果通知書に「この決定に不服があるときは、この通知を受け取った日の翌日から起算して3ヶ月以内に大阪府知事に対して審査請求をすることができます」と書いてあった。
不服があるのでやりましょう。
通知書が届いたのが土曜だったため相談員さんには連絡がつかなかった。
自力で調べて書類を作成。

以下、その一部。

 

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ついでに、どういう理由でこうなったのか知りたいので、認定審査会に対し情報開示請求を行うことにした。そのための書類も作成。
これを土日に行い、月曜(今日)の朝イチで相談員さんに電話し、区分5の結果通知が来たこと、これに対し不服審査請求を行うつもりであることを伝え、相談員さんには区役所で経緯の確認と私の意志の伝達をお願いした。
それから午後、相談員さんに来てもらって作成した書類を見せ、区役所の人に聞いてきた手順に必要なものが揃っていることを確認してもらい、代理人として動いて頂くことを依頼した。

 

私だけのことならここまで迅速な動きはできないだろうが、うちに入ってくれている訪問介護事業所は再審査の間すでに請求を止めている。
区分6の認定が降りれば遡り請求が可能だが、降りるかどうかも、それまでどのくらいの時間がかかるのかもわからない。
不服審査請求が却下され、区分5が適用されたら提訴しかないが、その労力を想像したら…恐ろしいけど、納得はできない。
それでも区分5が妥当と判決が出たら、最初の区分5認定からその時点までの重度訪問介護報酬の区分5で賄えない分は自腹で払わなければいけない。
ざっと月14万くらい…らしい。いくら生活保護費が余る私でも2ヶ月分が限界。
もう過ぎてる。
相談員さんも不服審査請求をしたことはなく、何なら区役所の人もよくわかんないけど風だったらしいから、すごくビビっている。
結果が駄目だったときのことを考えると、何とかして195時間に収める方法を考えたほうが…と思っているのが、わかる。
無理もないと思う。

 

だけどどうしても納得がいかない。 

せめて。認定審査会の人々よ、説明してくれ。

3年前と今とで、私の何が違うのかを。

もしくは、私以外の何が変わったのかを。

 

 

or、安楽死プリーズ。

 

以下、障害者総合支援法第一条より

第一条 

この法律は、(中略)障害者及び障害児が基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい日常生活又は社会生活を営むことができるよう、必要な障害福祉サービスに係る給付、地域生活支援事業その他の支援を総合的に行い、もって障害者及び障害児の福祉の増進を図るとともに、障害の有無にかかわらず国民が相互に人格と個性を尊重し安心して暮らすことのできる地域社会の実現に寄与することを目的とする。

第一条の二

障害者及び障害児が日常生活又は社会生活を営むための支援は、全ての国民が、障害の有無にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するため、全ての障害者及び障害児が可能な限りその身近な場所において必要な日常生活又は社会生活を営むための支援を受けられることにより社会参加の機会が確保されること及びどこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと並びに障害者及び障害児にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものの除去に資することを旨として、総合的かつ計画的に行わなければならない。

 

秋の日に思う

別に秋でなくても思うだろう。

 

先日、ヘルパーさんの同行があって2人で訪問されていたときのこと。

1人はアラサー、もう1人はアラフォー。

2人とも結構前からうちのサービスに入ってくれているのでよく知っている人たち。

アラフォーの人が「昨日娘にメガとギガの違いを教わった」と仰った。

アラサーの人が「実は私もよくわかってない」と笑った。

 

私「マジで」

 

私「1ビット」

2人「?」

私「8ビットで1バイト」

2人「うん…?」

私「(この辺は確かに知らない人は多そうだ)1024バイトで1KB」

2人「…」

私「1024KBで1MB」

2人「1024なんや」

私「2の10乗です。情報量は2の累乗で…1024MBで1GB。1024GBで1TB」

2人「テラ?もあるの?なんしか1024ということはわかった」

(今調べたところ、通信速度を表す場合には1000毎になることもあるらしい)

 

…そら若い子が「ギガが減る」とか言う訳だ。

キロとメガとギガとテラは日常的にPCを使っていれば分かると思っていたが、

ファイルの重さとか気にせずウェブサイト閲覧くらいだったら知らなくてもいけるね。

大体、今のPCは容量がでかいからそんなに気にしなくていいし。

思い返せば1バイトの意味は私も大学で知った。

(ただ、アラサーの人は大卒である。大卒でも…)

 

しかしメガとギガの関係くらいは知らないとスマホの管理できなくない?

容量の心配しなくていいスマホを使っているのか…

(今の私のスマホは結構ギリギリ)

通信量の心配はギガ単位でしかしないのか…

 

そこから考えたのだけどメガもギガもテラも情報量固有の言葉ではないはず。

1kmとか1kgでわかるようにキロまでは日常的に用いられる。

情報量以外はそんなにでかい桁を扱わないからか。

距離でいえば地球1周が約4万km…あっ、ここにメガを持ってこようとすると表記上ミリと区別しにくいぞ!

重さは1000kgで1トン。単位が変わる。1キロトンとかは言うな。メガトン…メガトン級って表現がある!!

 

私「メガトン級のメガはこれですよ!!」

2人「あー!!!!なるほど!!」

 

知らなくてもわからなくても別に生活に支障はない。

だけど知っていたらそれを元にいろんなことが理解できる。

そのほうが楽しいと私は思う。

 

教育も学問も、単純にわかるほうが楽しいっていうことじゃないかなあ。

基礎研究に対して「それがなんの役に立つの?」ってすぐ言うマンはそう思わない人なんだろうな…。

 

 

愛国心ってなんだっけ

1年書いていなかった。
書こうと思ったことがなかったわけではないが書くに至らなかった。
最近はとても平穏。
私も趣味の幅が若干広がり、ひとりで楽しんでいる。
具体的にいえば、ペンタブとCLIP STUDIO PAINT PROを購入して絵を描いたり。
ただし握力が足りなくて両手でペンを持つも手ブレが激しく、集中すると肩腰背中が痛くなるのであまり没頭するわけにもいかない。
元々絵描きでも何でもないし、クリスタの使い方もよくわからないので手探り状態。
↓は描きかけの絵

 

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ボカロ替え歌動画に使うつもりの絵。
ボカロ曲の替え歌をボカロに歌わせる。
私が持っているボカロは以前友人が誕生日プレゼントにくれたものだ。
この絵の曲線はすべて連続曲線ツールで描いている。

 

それはさておき、である。

 

TVの関西ローカル局で土曜の午前中に情報番組をやっている。
韓国の話題が出ると毎回、出演者の某お笑いタレントが「日韓合意したのになんでいまさら見直しとかいうねんおっかしいやろ!!!」みたいなことをすごい勢いで言う。
他の出演者もだいたい同じ意見らしく振る舞っているが、私はもやっとする。

今日は「(慰安婦当事者が言う)大統領が勝手に決めたって、その大統領を決めたのが自分たちなら従うのが当たり前やろ!!」と言っていた。

うーん…?

韓国の大統領は直接選挙で選ばれるから日本とは異なるかもしれないが、
選挙当時とその後の言動がブレることは珍しいことではなかろうし、
どうブレても支持し続けろと言われても…?
そもそも大統領選挙で違う人に投票した人は納得出来ないだろう。

自分が韓国の立場だと考えたら。
日本は「非人道的な行為が過去にあった」ということは認めている。
がしかし、札束を出して「まぁ悪かったよ。これが誠意だ。もう蒸し返すなよ?」と言う。
(実際、私にはこれぐらいのニュアンスしか見えていない)
1対1の話し合いなら不本意だろうとなんだろうと「わかった」と言ってお金を受け取ったら終わりにするしかないだろうが、
代理人がそれで手を打って当事者が「そんなことで済ませられない」と言ったら「はぁ?昔のことだし金払ったのにまだ言うの?」と言われた…

という構図にしか見えない、某タレントの言い方では。

「年月も過ぎたし、謝罪も賠償もしてもらった。もう赦すよ」
という言葉は被害者が言うものであって加害者が強制できることではない。

また、どんな謝罪や賠償を受けても赦さないという選択肢もあるべきだと私は思う。
この件に限らず、全てにおいて。
法的に決着がついた・裁かれた場合でも被害者が赦すことを強要される謂れはない。
少女像については…心情的に赦すことができないからと言って「嫌がらせ」に当たる行為が正当化されるかと問われるとそうではないと答えざるを得ないが。
「嫌がらせ」か「正当な主張」かは見る者によって変わるだろう。

この件に関して誰が何を言ったか仔細を知らないまま印象を書いてしまった。
日本は/韓国はこうすべきという意見があるわけではない。
ただわぁわぁ言ってる某タレントの意見はあまりにも一方的に思えた、という感想です。

某タレントが特に愛国心を持ち出しているわけじゃないが、
姿勢的には昨今話題の愛国者(自称)である篭池氏なども連想する。

 

愛国心って、私の日常ではまず遣わない言葉だけど、
これを積極的に連呼する人ほど国を愛しているのではなく他国を貶めたり仮想敵にしたりして自身(=所属する国)を持ち上げているようにしか見えない。
私は日本に生まれてよかったと思うけれど、
「美しい日本を取り戻す」は意味がわからないし、
教育勅語にもいいところはある」と言われても「いい点よりも問題点を見ろや」と言いたくなるし、
幼稚園児に暗唱させるのは全くどうかしてやがるぜってレベル。

 

国を愛することは人を尊重することより大切か?

道徳よりも人権について学ぶべきではないか?

他者の何を侵してはならず、自身の何を守るべきか。

 

少なくとも自分には問い続けていきたい。

 

 

 

私の狂気

「何もかもぶちまけてすべて終わりにしてしまいたい」

 

何の脈絡もなく、こんなフレーズが頭に浮かぶことがある。
例えばテレビを見ながらごはんを食べている時とか。
では何かぶちまけたいことがあるのかなと思うが実際何もない。
この人生が(あるいはこの世界が)終わったらいいなとは思うけれどそれは今の私に何とかできることではないし、さほど強く望んでいる訳でもない。
だから、我ながら謎である。なぜこんなフレーズがぼこっと、水中で吐き出された空気の塊のように浮き上がってくるのか。

 

「好きだ。好きです。好きです。あいしている」

 

そして時には、こんなフレーズが頭に浮かぶこともある。
これは大体場面が決まっている。
ゆえに、何のことだか誰のことだか判然とはしないが漠然とは知っている。
多分、何かをつくる人、語る人、描く人、歌う人、そういう人たち。
アニメを見たり本を読んだりした直後ではないが、しばらく経ったあとだから。
いい作品に触れた時のほうが多いがそうでないこともある。
よくてもそうでなくても、つくった人たちの作業工程なんかを想像して感極まるのであろう。
あいしているは言い過ぎな気もするが、私は創造する人を尊敬している。
私にはできないことを全力だったり片手間だったりでする人たち。

 

私が自分を狂っているなと思ったのはまだ歩けていた頃のこと。
自傷行為を繰り返し、血塗れの腕の写真を撮りまくっていた。
ここは全然狂っていない。ふつうだ。
何が怖かったって、抗不安剤を大量にのんで腕を切りまくって、辺りを血塗れにして写真を撮って、寝て起きた時に完璧に後片付けがされていたこと。
カーペットについた血のシミは跡形もなく消えていた。
腕にはきっちり包帯が巻かれ、デジカメで撮った写真はリサイズのみならず色調補正までされPCのフォルダに保存されていた。
そういえばカーペットの血は食器用洗剤をティッシュに含ませ根気よく叩いた気がする。
デジカメとPCを繋いで写真を取り込み色調補正かけたような気もする。
起きた後も足元が危ういくらい薬をのんでいたのにこの几帳面さ。
普段から几帳面な方ではあるが潔癖という程でもないと思っている(実際部屋は片付いてはいるが棚や抽斗の中は適当にぐちゃっとしている)のに、なぜフラフラで記憶無くしてまで片付けているんだ……

 

自身の狂気というものは傍から見たらどうでもいいところにこそ感じるものではないだろうか。

 

初夏

気づけば春も過ぎようとしている。
私は相変わらず風邪も引かずに毎日健康(身体が動かないことを除けば)。

 

前の記事を書いてからまたいくつか事業所の入れ替わりがあった。
障害支援の方にも相談員(介護のケアマネージャー的な役割)がついてくれるようになって、ずいぶん楽になった。
相談事業を行っている事業所を選んでくださいという紙が役所から来た時、私は大きめの株式会社を選んだ。
結果、正解だったようだ。非常によく助けていただいている。
ヘルパーさんたちの言によると、ケアマネージャーもピンキリではあるが相談員の方は輪をかけてあまり頼りにならない人が多いらしい。
まださほど重きを置かれていない職なのだろう。
こういう場合、非営利の団体に所属する人は利益を上げることより気持ちで動くイメージがある。実際非営利団体と関わったことはないのだけど。
利益を意識して働く人のほうがきちんと仕事をしたり、また働いてくれない場合上に話を通す窓口も機能していたり…とにかく対価に見合う責任を持ってもらえる。
気持ちで動いている人はクレームに対し「でもあの人もカイさんのことはちゃんと考えてる」などと言ってきたりする。らしい。
介護は気持ち抜きでできる仕事ではないが、気持ちだけでできる仕事などない。
非営利だと気持ち「だけ」ではないにしろ、利益の意識が薄いと責任感に差が生まれても不思議はないと思う。
もちろん頼りになる非営利団体もあって当然だし、株式会社でズブズブのところもあるだろう。
この団体はそんなじゃないよ!などのお知らせは要りません。

 

さて、訪問介護事業所を結構な数見てきたので、事業所を選ぶ時に気をつける点を書いてみよう。
あくまでも私の個人的な視点であることはご留意いただきたい。
「こんな訪問介護事業所は避けたい 7つのポイント」

  1. 事業所名に管理者の下の名前が入っている
    管理者がワンマン気質で、社員や登録ヘルパーとの協調がうまくいかない事業所である可能性がある。姓だけならよくあることなので気にしない。
  2. 名刺が安っぽい・手作り感溢れている
    名刺にお金をかける余裕がない=規模が小さく社員が1人辞めたりするとそれまでと同じサービスが提供できなくなったりする。
    結果、入ってもらっても短期間で撤退することになりがち。
    介護業界だけじゃなく名刺は大事。名刺が安っぽいと安く見られる。
  3. 契約書(重要事項説明書含む)に不備がある
    具体的には綴じていない・割印がないなど。最悪だったのは綴じも割印もない契約書からサインするページだけを抜き出して渡されたこと。しかも重度訪問介護なのに居宅介護用だった。幸いその事業所は1度もサービスに入らず撤退する羽目になったのでサインした部分を返却してもらいこちらで処分した。
    他のケースでは、一切説明もなく署名欄を開いて渡され「拝見してよろしいですか」と言って確認すると「サービスは別表のとおり提供する」とあったので別表を見たら空欄。こういう、契約手続きをまともにできない管理者は運営も信頼できない。1週間で撤退した。
    恐らく管理者が説明しようとしても利用者から「もういいよ、どこにサインするの」と言われたりするのだろう。しかしだからといって初めから説明を省いてもいいわけではない。
  4. サービス提供責任者がサービスに入らない
    これは事前にはわからないことだが、管理者が契約時に来る以外登録ヘルパーしか来ないというのは異常なことだ。当然バックアップがいないのでいきなり電話で「今度ヘルパーが休むけど代わりがいないのでどうしよう」とか言われる。
    普通は事業所で考えることだ。
  5. 複数のヘルパーが事業所のことを悪く言う
    言われるだけの理由がある。何しか揉めてるところは避けたい。
  6.  本社が謎
    管理者の上に本社があるというのは大きな会社では当たり前なのだが、その本社の方針がいまいちよくわからないと、私にもヘルパーさんにも問題がないのに「本社の意向で」といきなり撤退されたりする。これも事前にはなかなかわからない。
  7. 管理者がワンピースを着てサービスに入る
    「その服装は、ないわ」と言ってしまった。ガッツリ身体介護なのに…

 

細かいことを言えばもっとあるけどこの辺で。
あくまでも私見ですよ。

 

では、ごきげんよう。

 

 

 

気づけば冬

夏に記事を書いたきり、先日まで秋だったが唐突に冬になった。
冬は着るものも増える、必然的に洗濯物も増える。
介助量も増えるのでヘルパーさんには申し訳ない。
例年は入浴しない日はベッドに入る前に足浴をしていたのだけど、
足浴しても芯までは温まらないし、あっという間に冷えるしなぁ…と思い、
それをすっ飛ばして充電式湯たんぽを導入してみたが、
確かに足に湯たんぽが当たっているのに温かいのかどうかわからないほど足が冷えていた…。
ようやく温かさがわかるようになったのがベッドに入って5時間後。
足浴はすべきなのだろうか。面倒だなぁ。

 

それはさておき。

前回の記事以降またいろいろあった気がする。
いろいろとは主に訪問介護事業所の入れ替わり。
次に入る事業所があるのならこちらとしてはあっさりしたものだが、
小さな事業所は内部で揉めていたりして大変そうなところもある。
介護に対し情熱的すぎるのも、事業として成り立たせるにはちょっと…という感じがする。
適度にビジネス感覚を維持しないと、対利用者でも対社員でも厄介なことが多くなりがち。
「金さえ儲かればいい」も「人の役に立ちたい」も等しく、
全面に押し出すのはどうかという話なのだ。
後者は美しい精神のように思えるけれど、
仕事である以上採算度外視の滅私精神は迷惑にもなり得る。
特に私のような人間がクライアントの場合は。

 

それもさておき。

新しく来始めた事業所のヘルパーさんがまだ日も浅いころ、
トイレ移乗に失敗してこう言った。
「無駄にリハビリさせてすみません」
私はこう答えた。
「これはただの無理な姿勢であってリハビリではないです」

 

この話を親にしたら「そんなこと言わなくても…」と言われた。
まぁ親がそう言うのは無理もないかもしれない。
見当違いな提案をして「リハビリになるだろう」と言うこともしばしばだ。
だがしかしヘルパーさんや、それ以上に病院の看護師さんにこういう人はたくさんいる。
すなわち「なんでもリハビリになると信じている」人。
あのねぇ。あなた方は私の関節や筋肉、どこがどうなってるのか全然知らないでしょう。
不足している筋肉を補うために無理に他の筋肉を使って姿勢を維持している場合、
それはただ痛めているだけで鍛えてはいない。
それを知らずに、知る気もなしに、私が力んでいれば「リハビリ」と言うのはマジやめて。

医師や療法士はそんな杜撰な言葉の使い方はしない。
悪気がないことを以って許されるべきとされるのは(この件に限らず)もうんざりだし、
こういうことを言われて不愉快になるのが私だけとも思えない。
私ほどあからさまに言う人は少ないかもしれないけど。

しいて思い出せるイラッとしたことがこのくらいなら(あとは忘れた)、
概ね平和な日々が続いているようだ。
風邪も引いてません。
皆様におかれましても、お体にはお気をつけて。