満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

2018

今年は個人的にいろいろあった。
いろいろなんてありようがないと思っていたのに、あった。
ビックリした。
数年ぶりに会った(会話できたのは一瞬だけ)知人、以前この記事で書いた若い男の子が、

unk-moon.hatenablog.com

リアルで会ってた頃は20代前半だったがもう30代になっていた。
対面した時間が少しでも、彼が成長したことはとてもよくわかった。
身長は変わっていない(多分)。人間的に。
それはもう、若干泣いてしまうほど。
大きくなったねぇ。
私は親戚のおばさんか、と己にツッコみつつ。

 

イカイの話はまだ続きがあるのだけどあまり詳しく書くわけにもいかず、
書くかもしれないけどその後の流れをざっくり記すと、
今私はFさんの仕事を手伝っている。
オンラインでできる表計算やweb関係などを。
これらは結構楽しい。

個人的でない部分はよろしくない年だったと思う。
障害支援区分の強引過ぎる引き下げ方との戦い。
負けちゃった人だっているだろう。
それを考えると「私がこの生活を維持できるのもそれほど長くないかも」と思わざるを得ない。

 

大阪北部地震及び台風の被害は、地味に私を襲った。
まだ続いている、地味に。日常生活に大きな異変はないけど。
身近なところ以外でも災害がたくさんあり、何とコメントしていいのかわからない。

 

それから、10月の生活保護基準引き下げ。
同時に母子手当とか児童扶養手当とか?紙を捨ててしまったからはっきり覚えていないが、何かえげつない下げ方を段階的にやりますって書いてあったような気がする。
とりあえず私に支給されている生活保護費でいうと、
2011年11月より2018年11月のほうが約4%下がっている。
私には障害者加算があり、もし支給されている金額をここに具体的に書いたら「もらいすぎだろ!!」と私を叩く人間がいそうで怖くて書けない。
何度も言いますが私は不正受給はしていない。収入があれば申告してます。
だから私を叩くのは完全に矛先が違うのだよ。
話がそれた。
つまり私に支給されている金額は書けないが、仮に13万円としてみよう。
2011年に13万円支給されていたら、2018年は約5000円下がっている。
そのくらいの感じ。

 

いいですか、2011年は消費税率5%です。
2018年は消費税率8%。

 

私は、自分の支給額を上げてくれという気はない。
なぜなら私には十分だから。
しかしそれは私がたまたま金銭管理能力の高い人間だからであり、これを一般の基準にしてはいけないのだ。

 

麻生大臣の「景気回復を実感できない人のセンスがわからない」とかいう発言を見たときには、怒りと絶望がないまぜになり生まれた諦めのようなもの、が、身の内に湧き上がり、横たわった。

 

その夜、夢を見た。

麻生氏に向かって「景気回復したならなぜ生活保護基準を下げるのか?物価が上昇してるのに?消費税率が上がったのに?なぜ弱者への支援を切り取るのか?認めろや今の日本はジリ貧やってことを!!!」と、怒鳴っていた。

 

高景気の期間がいざなぎ超えだとか、調子よく言っているけれども。

彼らには見えない。

生活保護は恥だと臆面もなく言う議員にも、見えない。

私達は存在するが、彼らには見えない。

彼らは見えていると思っているのだろう。

 

辛気臭くなってしまったが、
2018年は個人的にはハッピーでした。
それはFさんたちのおかげではあるけれど、
私が何もしなかったら今日このようにはなっていない。
一方でこのハッピーは、私の今の環境が『与えられた』ものである以上、
私が何をしてもしなくても奪われうるものである。

 

その覚悟だけはして、2018年を終わりたいと思う。

 

みなさん、よいお年を。

 

 

(文章とは全く関係なく、かっこいいバンドYellow Studs)

自分で言うのは流石に勇気がいるが

もう寝る時間だし睡眠薬ものんだけど、
こういう時しか書けないことを書く。

私は多分、生まれつき頭と顔がよかった。
運動神経は笑えないほど悪かったが、
頭と顔はよかった。

塾も予備校も一切行ったことなく、
もちろん家庭教師などつけたこともない。
それで公立のそれなりの大学を1校だけ受けて合格し、
大学院(修士)まで出た。
何も、特別な努力はせず。

両親は高卒と中卒。
兄は(言い方は悪いが現実としてそうだった)底辺高卒。
貧乏な家庭と思い込んでいたが、
公立とはいえ私を大学院まで出してくれた。
よその土地から移り住んできた両親には、
高校も大学もわからなかったので私が全て決めた。
この学歴を私が獲得するのに、親の出費は一般よりはかなり少なく済んだはずだ。

顔がいいので10代の頃はモテた。
20代以降は性格的な問題か、モテなくなった。
私も好きでもない男と付き合うのにうんざりしていたし、
好きになるようないい男はちゃんと恋人がいた。
だから私は20代の早い頃からずっと恋人がいなかった。繰り返しになるが、好きでもない男と付き合うくらいなら恋人などいないほうがマシだ。

そういう経験があるので、
顔がよくない人の愚痴に私は弱い。
私は顔がよくなくてつらい目にあったことがない。

頭が悪い人が仕事をうまくこなせないのも、
「あなたの頭が悪いのはあなたのせいではないかもしれないけど…」と、絶対口には出さないがよく思っている。
これだけ説明されても理解できない人間がいるんだ。
学習できない、判断もできない人間がいる。
私にはその人たちがなぜそうなのか理解できない。
育った環境、遺伝要因、あるかもしれない何らかの障害。
だから責めるわけにはいかない。
「なんでわからんの?」と言ってはいけない


私は自己肯定感が低くも高くもある。
こんなクズ生きててもな、と思う一方、
私より無能な人間のほうが多分圧倒的に多いのだと思う。


頭は悪くても結婚し子を産み育て、
働いて納税し、社会を支えている人々に比べたら、
私などゴミみたいなもんだ。

頭と顔がいいだけの、
それも両方衰えていることを自覚している、
ゴミに過ぎないなあ。

と、特に感慨もなく思う。

もう寝ます。
おやすみなさい。

サイカイ - 3

11月だ。

なんとおそろしい!!(この元ネタが分かる人いますか?)

再会の、最初の出来事から1年が経とうとしている。

と書いてからまたしばらく放置したため、1年経ってしまった。

前回、今年1月の出来事を書いたけれど、話はまた昨年11月に戻る。

 

 

ずっとツイッターでFF関係にあり、たまにリプで会話しているRちゃんという女性スタッフがいた。
しかし店やそれに関わる話をすることは殆どなかった。
Rちゃんは、私の自殺に最初に気づいた人物と言っていいだろう。
実際にうちまできて救急車を呼んだのは副店長だったが、私の無断欠勤を不審に思い「何かあったのでは?」と言い出したのはRちゃんだ。
連絡なく休むような人ではない、と。
そしてmixi日記を見て、彼女が副店長にその内容を話し、副店長は「それ言ったの俺や」となり、翌日様子を見に私の家まで来たらしい。

 

Rちゃんはとてもおもしろい。
文章を書くのも上手で、店のHPでコラムを書いていた。
Fさんと再会してから、私は数年ぶりに店のHPを開いた。
そしてRちゃんのコラムを読んだ。

……心配になった。

いや、私が心配するようなことは別にないのだ。多分。
しかしFさんに店の状況を聞いた感じでは、Rちゃんも結構ストレス溜まっているのでは…と思った。
ちょうどそのタイミングで、彼女がツイッターで鬱憤を晴らしていた(笑)ので、
勇気を出して「今度うちに遊びにこない?」と言ってみた。
「行きます!」
即答だった。
そうして11月も終わり頃、Rちゃんとも再会した。

Rちゃんは店のスタッフの中で、経営陣を除けばいちばんの古株だった。
看板娘的な存在。
仕事もよくできるし、何よりキチンとしている。
なんとなくルーズな人間が集まってしまう傾向があるあの店では、楽しいこともたくさんあるけれど、もうやってられないと彼女は言った。
Fさんはダメなスタッフを叱る。結構怖い。
そのFさんが辞めるなら、Rちゃんも時期は決めていないが店を辞めるつもりだ、と。
叱られてもなお遅刻やら何やらを繰り返すヤツらと一緒にいると、ちゃんと仕事してる自分がバカバカしくなる。しょっちゅうイライラする。
彼女の不満はかなりの大きさのようだった。
そりゃあFさんがやめて経営者が副店長1人になったら、もうみんなグダグダになるだろうなあ。
現在のスタッフをほとんど知らないが、想像はついた。

 

いろいろ話しているうち、私が自殺を図った時のことに話が及んだ。
それまで愚痴を笑い混じりで話していたRちゃんが、不意に黙った。
黙ったというよりこれは、多分、口を開いたら泣いてしまう状態だ。と思った。
やはり、話を再開すると彼女は、しばらく涙が止まらなくなった。

「あのとき私がすぐに家まで行ってたらこんなことにはならなかったかもしれないって、ずっと思ってて、でも言ったらカイさん気にするだろうしって思ってたけど、自分がスッキリするためだけにこんなこと言ってごめんなさい」

 

Rちゃんは何も悪くないのに。

Fさんも悪くないのに謝ってたな。

 

ああそうか。

私はこの人達を傷つけたのだ。

 

そう思った。

 

障害支援区分、決定

嘘みたいだが、つい最近やっと片がついたのだ。

 

時系列をまとめてみると

昨年12月
障害支援区分再認定のため訪問調査を受ける

今年1月
区分5の決定通知(重度訪問介護の支給時間266時間から最大195時間に)
そんなの不可能なので再審査の請求(医師意見書はそのまま、再度訪問調査)

今年4月
再び区分5の決定通知。その時書いた記事↓

不服審査請求をしようとするが、審査請求には年単位の時間がかかり、その間受給者証は発行されない、つまり重度訪問介護は支給されないと聞き断念。
区分5を受け入れた上で、特別措置として数ヶ月必要な時間数を支給してもらい「区分6への変更」を求めることに。
医師意見書がかなりライトだったことを知り主治医に詳しい記述をお願いした。
その時の記事↓

今年6月?7月?
更に区分5の決定通知。脱力。
ヤケクソになり195時間で在宅で暮らす方法を考えたところ、入浴をデイサービスにし、リハビリ通院をなくし、調理と買い物を全て無くせば可能。
あとこれはソース調べる気力もなかったから区役所の人から聞いただけだが、「重度訪問介護は1時間から」というのは1日の最初(とは一体何時を指しているのか)の1回にのみ適用され、2回目以降は30分単位でも制度上はいけるらしい。
しかしうちのサービスは30分もかからない夜の巡回でも1時間とっている。なぜか。
それは介護請求ソフトが対応していないからなんだって!!
どうやら想定では、1人の被介護者に1日複数回のサービスが入る場合、同じ事業所が入るということになっているらしい。
しかし私の場合1日5回、合計8時間以上。これを全部受けられる事業所なんかない。
実際、うちに入っている事業所数は10を超える。
そして、各事業所が私のサービスに入る「1日の最初のサービス」が1時間からでないと介護請求ができないと。恐らく全て手で書類を作成すれば可能なんじゃないかと思うけれど、普通そんなことはしないしやってられない。
実は数年前、夜の巡回に入っている事業所が「この内容で1時間はあんまりだ」と思って月の半分だけサービス入っているふうに申請していたら、役所から指導が入って毎日1時間に修正させられた。
確かに事業所がやったのは不正なのだけど、書類上の正しさを求めて「介護費がかかる!!削減!!」っていうのならもっと現実的なシステムを考えるべきなのでは。
等々、バカバカしいことを考えつつも再度区分変更の申請。
ここで主治医が私の手に拘縮があることに初めて気づくなど。
メンタルがやられていることを強調するために再度訪問調査を受けた(7月)。
その時、「私は昔、精神が原因で生活保護を受けていた。その時に知人から『あなたのような人が大阪市の財政を圧迫している』と言われ自殺を図り、結果このような身体になった。今年はそれを大阪市から3回言われている気分」と言った。
そう言おうと前もって考えていたのにいざ話し始めると泣いてしまい、我ながら驚いた。
今までこの話は幾度となく、誰にでもしてきたのに、その時はとても苦しかった。
夜眠ろうとして睡眠薬をのんで電気を消しても涙が止まらなかった。

今年8月下旬、ていうかつい最近。
区分6の決定通知。ホッとしたし喜んだけど、こういう事になっているのは私だけではないようだ。
ヘルパーさんからも病院の看護師さんからも、介護保険でも障害でも本当に厳しくなり、区分を下げられた人が去年辺りからものすごく多いと聞いている。

 

ひとつ、声を大にして言いたい。

金が無いならサマータイムとかボケたこと抜かすなやクソ老害が!!!!

オリンピック・パラリンピックなんていうでかい事業すらボランティアという聞こえのいい奴隷を用意せなできへんぐらいなら、

己の計算が甘かったごめんなさいくらい言えへんのかボケが!!!!!

 

ひとつじゃなかった笑

しかし、自分の生活が今まで安穏と成り立っていたのが間違いだったのか、

社会に生かされる身ならば毎日の食事を自身で管理しようとか自宅で風呂に入ろうと思うことが間違いだったのか、とか鬱々と考えている時に、

サマータイム導入を検討とか言われたらもう、ほんまにもう…。

 

ボランティア問題については下記サイトが秀逸。
しかし「最後まで読んで吹いたw」的なコメントも散見され、
日本人一般の読解力に一抹の不安を覚えるなど。

2020volunteers.netlify.com

サイカイ - 2

今更ですが大阪の地震は私の生活圏では影響がなく、無事です(一応ご報告)。

 

前の続き

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11月にFさんが来てから1ヶ月ほど、私はずっと考えていた。
考えていたのか、思い出していたのか、悩んでいたのか、今となってはよくわからない。
ただ、それまでは1ヶ月などあっという間(体感)だったのに、その1ヶ月は長かった。

 

引っかかったのはFさんが、深夜に電話をかけてきた時のことを「覚えていない」と言ったことだった。
まあ普通なら忘れていても不思議はないのかもしれないけれど、あれはちょっと特殊だった。
いくら私が超夜型である(当時)ことを知っていても、1時半に電話をかけてきて朝9時まで喋るってそうそう忘れられることではないと思うのだ…。
いや時間帯の問題ではない。問題じゃないのか?
とにかく電話で7時間喋るってよくあることか?
しかもその前に事務所で3時間話しているのだ。
サシで3時間話したのはあの日が初めてだったんじゃないか?
その後に7時間超。1日に10時間、1対1で話すほど仲良しではなかった。

 

考えれば考えるほど不安になった。
なぜそれほど長時間話したかというと、それは昼間私がスタッフみんなの前でFさんを責めたからだ。
Fさんは弁が立つ方だ。方っていうか謎の弁護士パワーの持ち主だ。
しかし私も負けてはいない。
駅前で某教会の勧誘の人に話しかけられ、暇だったから30分ほど持論を展開してみたら相手が何も言い返せなくなった私を見くびってはいけない。
心斎橋で「アンケートに答えてくれたら粗品をプレゼントする」というキャッチにこれまた暇だったからついていったらエステの勧誘だった際、矛盾を指摘していったら最終的に言い返せなくなった勧誘の女性に「そんな毛玉だらけのセーター着てるくせに!!」と言われた私を舐めてはいけない。
確かにセーターは毛玉だらけだったが、この言葉を以って私は勝利したと思ったので爆笑した。
話がそれたが私はスタッフの前でFさんをボコ殴りにした(言葉で)。
それによってFさんへの不満をつのらせていたスタッフは溜飲を下げ、Fさんと私は事務所で通常業務を終えたあと改めて話し合った。
その3時間で当時の問題は完全にではないにせよ、ある程度解せたと思っていたあとの7時間だ。そう簡単に忘れるものではない。私にとっては。
しかしFさんは覚えていないと言う。
待ってそれを覚えていないということは、昼間私がFさんを責めた記憶だけが残っているということ?
ボコ殴りにされた(言葉で)衝撃で記憶が飛んでいるのでは??
フォローの記憶が失われていたら、Fさんにとって私はやばいやつになってるのでは???
その他、電話で聞いたいろんなことがその後大丈夫だったのかとか、めちゃくちゃ心配になってきたが、そんな何年も前のことを今更訊いても…とか、でも考えてしまうどうしようとか、悩みすぎて不眠になった。
1~2年前に削った睡眠薬を復活させるほどに。

12月某日、意を決してFさんに訊いてみた。LINEで。
私に責められた衝撃で記憶が飛んでいるのではないか、と。
あっさり「そんなことないですよ。単純に忘れてるだけです」と言われた(笑)。
責められた事自体も、一方的にボコられたという記憶になっている訳ではないようだった。
私の考えすぎだった…1ヶ月も。早く訊けばよかった。

 
Fさんが店を辞めることが公表されると、関係者はざわついた。
理由が語られなかったこともまた、動揺を大きくしたように見えた。
また、辞めるに当たっても問題は多かったし、面倒くさいことは今年の春頃まで続いたのかもしれない。その辺りの話は最近聞いた。詳細までは知らないが。

 

11月に再会したあと、私は再びFさんをツイッターでフォローした。
以前切ったのがいつだったかはよく覚えていないが、彼を通じて店やそのジャンルの情報が入ってくるのが辛かったのだと思う。
店自体はもはや私にとっては忌むべき存在となっていたが、Fさんを含めて何人かのスタッフや関係者は眩しい存在だった。
うつだった頃の私を、支えてくれていた世界。
それを直視するのが辛かった。
楽しかったことなど思い出したくなかった。
もう届かない世界など見ていられなかった。
それを再び目にするのはそれなりに勇気のいることだった。
実際今年に入ってからも、いろんなことを思い出して涙が止まらなくなる日もあった。

 

何年も経っていればジャンルの状況も変わっているし、私がかつてその世界の片隅に関係者として存在したことなど、当時のスタッフやよほど親しい関係者以外は覚えていないと思っていた。
ゆえに、フォローはしていないが情報が伝わってくるという位置の、私の認識では「2、3回話したことがあるかな」という人物の夢を見た話を、軽い気持ちでツイッターでつぶやいた。
すると当人からフォローされた。
ビビった。
私のことを覚えているのか、誰かわかっているのか恐る恐る訊くと「覚えてますよ。誰かはツイートの内容でわかりました」と言う。
しかも彼は私が忘れていたことも覚えていた。


衝撃だった。

 

忘れられていると思っていた。

誰も気にしていないと思っていた。

でもどうやら、そうでもないようなのだ。

気にはしていなくても、目に入れば思い出せるらしいのだ。

 

私はまだ存在していた。

 

これが1月の話なのでやっぱりまだ続く。

たぶん。

サイカイ - 1

半年ほど前のある雨の日。

午前中は通院の日だったが、雨だったからお休みにして、部屋干ししてもらった洗濯物に布団乾燥機の温風をあてていた。
ゴーゴーと結構うるさい風の音。
しかし11月に部屋干ししてもエアコンつけているわけでもなし、乾きにくいからこうでもしないと。

 

電話が鳴った。
画面に表示されているのは知らない(少なくとも連絡帳に登録されていない)番号だったが、訪問介護の事業所の人が携帯からかけてくることはよくあるので電話に出た。

「はい」

「もしもし」男性の声だった。

「Fですけど」

Fさん…知っている名前だ。
けど、もう何年も会っていない。
私が自殺を図ってから会っていない。
その後ツイッターで何度か会話したけど、彼のフォローを外したのはいつのことだったろう?2年くらい前?その後彼がどうしているかは知らなかった。

「…え、Fさん?Fさんですか?」
既に名乗っている人に名前を訊き返してしまった。布団乾燥機の音がうるさかったせいもある。

「はい、Fです。○○のFです」

○○は私が最後にバイトしていた店。Fさんは店長だった。

「ああどうも、お久し振りです」

「ご無沙汰しています。すいません急にお電話してしまって」

「いえいえ」

Fさんは私に訊きたいことがあるので伺ってもいいですかと言った。
今更何を訊くのかしらん、何年も前の経理のことを訊かれてもわからんけど…と思いながらどうしたのか尋ねると「ちょっと面倒なことがあって」
私が今のFさんの面倒事にどう関係するのだろうか。
わからないけど「いいですよ」と返事をして、Fさんはその日うちにくることになった。

 

そして午後、Fさんはやってきた。

彼が訊きたかったのは私の自殺の原因だった。

昨年11月時点で、彼は副店長(私の自殺のトリガー発言をした人)と揉めていて、というよりずっと前からこの2人は揉め続けていたのだが、とうとう副店長のほうが店長に店を辞めろと迫ってきたのだった。
この2人の関係性は難しくてここには書けないのだが、今思えば私が働き始めるより前から拗れていたのかもしれない。
私の入院中に副店長が見舞いに来たときもずっとFさんの悪口を言っていたことを思い出した。
また、私が働いていた時に私がスタッフ皆の前でFさんを糾弾したことがあったが(これは一種のパフォーマンスで、私はむしろ他のスタッフに腹を立てていたのだがこれもここで説明できることではない)、その日の深夜にFさんから電話がかかってきて、電話に出て彼の声を聞いた瞬間「あ、これはやばい」と思うほどFさんは副店長に追い詰められていたことも思い出した。

Fさんは私の自殺に副店長が関係あることをなんとなく知ってはいるが、何があったのかは知らないので教えてほしいと言った。
私がいなくなったあと、Fさんは彼が担当していた仕事に加えて経理もやらねばならず、そこでキャパオーバーになりミスをしてしまったのだそうだ。
副店長はそれを持ち出して「法的にFを辞めさせる根拠がある」と言い出した。
経緯を説明するFさんの目はうつろだった。

私はライトに「いいですよ」と言い、ライトに自殺を図る数日前の副店長との会話から話し始めた。ライトに「で、これ死ねるんじゃね?って思ってこう、薬を小皿に、先にシートから全部出しとかないと、のみながら出していったら途中で指がうまく動かなくなるから…」とテーブルの上で薬を取り出す動きを再現していてふとFさんを見やると、手で顔を覆っていた。

泣いていた。

ビックリした。

初めて見たし、私の友人知人ではFさん程「漢たるもの強くあれ」みたいない人はいなかったから。昔の深夜の電話も異例で、その時彼は自分の辛さを話してくれたのだが、みんなの前では強気だし批判や文句はガンガン言うが、自分が辛いとか悲しいとかは出さない人だったのだ。

「…申し訳ない」

手で顔を覆ったまま、Fさんはくぐもった声で言った。

「いや、Fさんが謝る必要は…Fさんが泣くことでは…」

その後どこまで話したのかはよく覚えていない。

 

Fさんは私のことを副店長にぶつけようと思って、と、私が話し始める前に言っていた。他のスタッフにも「副店長はこういう人間だがそれについていっていいの?」と言ってやろう、と。その時のFさんは怒っていたしヤケクソだったのだと思う。
確かに自分はミスをしたけど、今までしんどくても売上を支えるため必死でやってきたのに、それを認めず悪い点ばかり非難され続けて、もうずっとその繰り返しで、ミスの件はちゃんとカバーするし悪い点は今後改善するって言っても全く聞き入れてもらえない。

Fさんの話は数年前の深夜の電話で聞いたのと大筋では同じだった。
私はあの時、話を聞いたことで満足して何もしなかった。
この人はあの後もずっと苦しんでいたのか。

あの日Fさんが流した涙は、私のことだけじゃなく、彼自身の辛さが溢れてしまったのだと思う。

 

副店長だけが悪いのかというとそれはわからない。
多分、副店長にも言い分はあるだろうし、Fさんが間違っていることもあると思う。
とはいえ私はFさんの話は理解できるが、副店長が何を言っているのかはあまり理解できなかった、昔から。
まあ私の入院中の見舞いの時、ひたすらFさんの悪口を言いながら私に「俺は間違ったことを言ったとは思っていない」と言った副店長のことを、私が公平な目で見ることができないのは当然だと思ってほしい。

とにかく、Fさんに何の落ち度もないかというときっとそうではない。
それは彼自身も認めていることだ。
ただ副店長は間違っている、と言っていた。
三者が見てもそうなのかどうかは私には正直わからない。

でもそれについて話せるようになるのはもう少し先のことだろう。
Fさんはとても傷ついていたし、たぶん半年経った今でも、外見上はずいぶん元気になってきたがまだ傷は残っていると思う。

 

あの日、私は「辞めればいいんじゃないですか」と言った。

「でも僕がいなくなったらあの店潰れるんちゃうかなあ」
「潰れりゃいいんですよ。あの人がそうしたいと言うなら。あれに何言っても無駄じゃないですか。感情でモノ言ってくるから我々(私とFさんは論理的であろうとするところだけが似ている)が勝てることはない。そもそも同じ土俵に上がらないですから。そりゃFさんにしてみたら今まで必死に育ててきた店だし、私とは思い入れが違うでしょうけど、そこまで言われて残る必要あります?」

Fさんは自分の仕事の能力には自信を持っていて、今の店を辞めても他で十分やっていけると断言した。
だったらそうすればいい、と私は言い放った。

 

他でも同じような仕事ができるならそうしてほしかった。

これ以上傷ついてほしくなかった。

これ以上、自分が何もしなかった結果を直視できなかった。

 

結局Fさんは店を辞めたのだが、ここから始まった私自身の話は続く。

たぶん(笑)。

障害支援区分認定その後

前回の記事の続き。

 

結局、審査請求は行わなかった。
相談員さんが代理で書類を提出に区役所へ行ってくれたのだが、保健福祉課の担当の人がとても熱心な人で、審査請求する前に話を聞きたいとうちまできてくれた。
地域担当さんと上司さん。
彼らが仰るには、平成28年に審査請求を起こした人の結果がまだ出ていない上に、医師がたくさん資料を用意しても負けそうな気配だと。
そして審査請求の結果が出るまでは受給者証は発行できない(つまり訪問介護に来てもらっても事業所は請求をかけられない)。
そこまでして審査請求をするよりは、一旦区分5を受け入れ、しかしながらいきなり70時間も減らすことは難しいので、移行期間として数ヶ月分以前と同じ時間数をもらえるように区から大阪市に協議を申し入れ、その時間数を支給してもらった上で区分変更をかけてはどうか。
協議の結果は保証できないけど頑張りますと言ってくださった。

年単位で事業所が請求をかけられない状態になるというのは、いくらなんでも無理である。
そんなの、事業所を人質にとっているようなものではないか。
審査請求ってなんなのだろうか…。

 

区役所の人たちは医師意見書も見たそうだ。
すると、医師意見書がすごく軽く書かれていて、あれで区分6はちょっと…という感じだったそうだ。なぜ3年前はいけたか逆に不思議、みたいな(笑)。
あー…私、主治医に診察の時「どうですか」と訊かれても、せいぜいが「ちょっと眠れない日がある」「肩が凝った」「この前お腹痛くなったけど治った」くらいしか言っていない。そりゃあ主治医も私の生活を知らないわけだ。
普通は医師意見書を書くにあたって患者に聞き取りもするのだろうが、私の場合3年前もその前もスムーズに進んだので同じでいいやと思われたのだろう。
主治医は悪い人ではないが熱心な方でもなさそうで、飄々としている。
それが今回は仇となったようだ。

区役所の人たちのアドバイスに従い、区分変更をかけるにあたり、
医師に現状を詳しく訴えることにした。
しかしいきなりシリアスな話はできないので(笑)、書面を作成。
私の趣味は表や書類の作成である。
相談員さんが診察の時に来てくださって、現状の説明もしてくれた。
訪問調査の内容などはもうこれで区分5だったらどうしてくれよう、という感じ(前回と同じ)なので、あとは主治医がどれくらい理解してくれるかにかかっている。
頼みます先生…。

で、大阪市と区の協議の結果、あと数ヶ月間は十分な時間がもらえることになり、
やっと受給者証も発行された。
とりあえずは一安心である。

 

そして区役所の、熱心な担当の方は異動になった。
うちに来られた翌日が異動の発表日と言ってらして、ええ異動になっちゃったらどうしよう、と私と相談員さんが言うと「大丈夫です、ちゃんと引き継ぎますから!」と言ってくださった。
異動前にすばやく大阪市に協議をかけてくださったそうだ。
いい人だ…。

 

手は尽くした(私以外の人たちが)。

あとは、頼むぜ大阪市