満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

秋の日に思う

別に秋でなくても思うだろう。

 

先日、ヘルパーさんの同行があって2人で訪問されていたときのこと。

1人はアラサー、もう1人はアラフォー。

2人とも結構前からうちのサービスに入ってくれているのでよく知っている人たち。

アラフォーの人が「昨日娘にメガとギガの違いを教わった」と仰った。

アラサーの人が「実は私もよくわかってない」と笑った。

 

私「マジで」

 

私「1ビット」

2人「?」

私「8ビットで1バイト」

2人「うん…?」

私「(この辺は確かに知らない人は多そうだ)1024バイトで1KB」

2人「…」

私「1024KBで1MB」

2人「1024なんや」

私「2の10乗です。情報量は2の累乗で…1024MBで1GB。1024GBで1TB」

2人「テラ?もあるの?なんしか1024ということはわかった」

(今調べたところ、通信速度を表す場合には1000毎になることもあるらしい)

 

…そら若い子が「ギガが減る」とか言う訳だ。

キロとメガとギガとテラは日常的にPCを使っていれば分かると思っていたが、

ファイルの重さとか気にせずウェブサイト閲覧くらいだったら知らなくてもいけるね。

大体、今のPCは容量がでかいからそんなに気にしなくていいし。

思い返せば1バイトの意味は私も大学で知った。

(ただ、アラサーの人は大卒である。大卒でも…)

 

しかしメガとギガの関係くらいは知らないとスマホの管理できなくない?

容量の心配しなくていいスマホを使っているのか…

(今の私のスマホは結構ギリギリ)

通信量の心配はギガ単位でしかしないのか…

 

そこから考えたのだけどメガもギガもテラも情報量固有の言葉ではないはず。

1kmとか1kgでわかるようにキロまでは日常的に用いられる。

情報量以外はそんなにでかい桁を扱わないからか。

距離でいえば地球1周が約4万km…あっ、ここにメガを持ってこようとすると表記上ミリと区別しにくいぞ!

重さは1000kgで1トン。単位が変わる。1キロトンとかは言うな。メガトン…メガトン級って表現がある!!

 

私「メガトン級のメガはこれですよ!!」

2人「あー!!!!なるほど!!」

 

知らなくてもわからなくても別に生活に支障はない。

だけど知っていたらそれを元にいろんなことが理解できる。

そのほうが楽しいと私は思う。

 

教育も学問も、単純にわかるほうが楽しいっていうことじゃないかなあ。

基礎研究に対して「それがなんの役に立つの?」ってすぐ言うマンはそう思わない人なんだろうな…。

 

 

愛国心ってなんだっけ

1年書いていなかった。
書こうと思ったことがなかったわけではないが書くに至らなかった。
最近はとても平穏。
私も趣味の幅が若干広がり、ひとりで楽しんでいる。
具体的にいえば、ペンタブとCLIP STUDIO PAINT PROを購入して絵を描いたり。
ただし握力が足りなくて両手でペンを持つも手ブレが激しく、集中すると肩腰背中が痛くなるのであまり没頭するわけにもいかない。
元々絵描きでも何でもないし、クリスタの使い方もよくわからないので手探り状態。
↓は描きかけの絵

 

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ボカロ替え歌動画に使うつもりの絵。
ボカロ曲の替え歌をボカロに歌わせる。
私が持っているボカロは以前友人が誕生日プレゼントにくれたものだ。
この絵の曲線はすべて連続曲線ツールで描いている。

 

それはさておき、である。

 

TVの関西ローカル局で土曜の午前中に情報番組をやっている。
韓国の話題が出ると毎回、出演者の某お笑いタレントが「日韓合意したのになんでいまさら見直しとかいうねんおっかしいやろ!!!」みたいなことをすごい勢いで言う。
他の出演者もだいたい同じ意見らしく振る舞っているが、私はもやっとする。

今日は「(慰安婦当事者が言う)大統領が勝手に決めたって、その大統領を決めたのが自分たちなら従うのが当たり前やろ!!」と言っていた。

うーん…?

韓国の大統領は直接選挙で選ばれるから日本とは異なるかもしれないが、
選挙当時とその後の言動がブレることは珍しいことではなかろうし、
どうブレても支持し続けろと言われても…?
そもそも大統領選挙で違う人に投票した人は納得出来ないだろう。

自分が韓国の立場だと考えたら。
日本は「非人道的な行為が過去にあった」ということは認めている。
がしかし、札束を出して「まぁ悪かったよ。これが誠意だ。もう蒸し返すなよ?」と言う。
(実際、私にはこれぐらいのニュアンスしか見えていない)
1対1の話し合いなら不本意だろうとなんだろうと「わかった」と言ってお金を受け取ったら終わりにするしかないだろうが、
代理人がそれで手を打って当事者が「そんなことで済ませられない」と言ったら「はぁ?昔のことだし金払ったのにまだ言うの?」と言われた…

という構図にしか見えない、某タレントの言い方では。

「年月も過ぎたし、謝罪も賠償もしてもらった。もう赦すよ」
という言葉は被害者が言うものであって加害者が強制できることではない。

また、どんな謝罪や賠償を受けても赦さないという選択肢もあるべきだと私は思う。
この件に限らず、全てにおいて。
法的に決着がついた・裁かれた場合でも被害者が赦すことを強要される謂れはない。
少女像については…心情的に赦すことができないからと言って「嫌がらせ」に当たる行為が正当化されるかと問われるとそうではないと答えざるを得ないが。
「嫌がらせ」か「正当な主張」かは見る者によって変わるだろう。

この件に関して誰が何を言ったか仔細を知らないまま印象を書いてしまった。
日本は/韓国はこうすべきという意見があるわけではない。
ただわぁわぁ言ってる某タレントの意見はあまりにも一方的に思えた、という感想です。

某タレントが特に愛国心を持ち出しているわけじゃないが、
姿勢的には昨今話題の愛国者(自称)である篭池氏なども連想する。

 

愛国心って、私の日常ではまず遣わない言葉だけど、
これを積極的に連呼する人ほど国を愛しているのではなく他国を貶めたり仮想敵にしたりして自身(=所属する国)を持ち上げているようにしか見えない。
私は日本に生まれてよかったと思うけれど、
「美しい日本を取り戻す」は意味がわからないし、
教育勅語にもいいところはある」と言われても「いい点よりも問題点を見ろや」と言いたくなるし、
幼稚園児に暗唱させるのは全くどうかしてやがるぜってレベル。

 

国を愛することは人を尊重することより大切か?

道徳よりも人権について学ぶべきではないか?

他者の何を侵してはならず、自身の何を守るべきか。

 

少なくとも自分には問い続けていきたい。

 

 

 

私の狂気

「何もかもぶちまけてすべて終わりにしてしまいたい」

 

何の脈絡もなく、こんなフレーズが頭に浮かぶことがある。
例えばテレビを見ながらごはんを食べている時とか。
では何かぶちまけたいことがあるのかなと思うが実際何もない。
この人生が(あるいはこの世界が)終わったらいいなとは思うけれどそれは今の私に何とかできることではないし、さほど強く望んでいる訳でもない。
だから、我ながら謎である。なぜこんなフレーズがぼこっと、水中で吐き出された空気の塊のように浮き上がってくるのか。

 

「好きだ。好きです。好きです。あいしている」

 

そして時には、こんなフレーズが頭に浮かぶこともある。
これは大体場面が決まっている。
ゆえに、何のことだか誰のことだか判然とはしないが漠然とは知っている。
多分、何かをつくる人、語る人、描く人、歌う人、そういう人たち。
アニメを見たり本を読んだりした直後ではないが、しばらく経ったあとだから。
いい作品に触れた時のほうが多いがそうでないこともある。
よくてもそうでなくても、つくった人たちの作業工程なんかを想像して感極まるのであろう。
あいしているは言い過ぎな気もするが、私は創造する人を尊敬している。
私にはできないことを全力だったり片手間だったりでする人たち。

 

私が自分を狂っているなと思ったのはまだ歩けていた頃のこと。
自傷行為を繰り返し、血塗れの腕の写真を撮りまくっていた。
ここは全然狂っていない。ふつうだ。
何が怖かったって、抗不安剤を大量にのんで腕を切りまくって、辺りを血塗れにして写真を撮って、寝て起きた時に完璧に後片付けがされていたこと。
カーペットについた血のシミは跡形もなく消えていた。
腕にはきっちり包帯が巻かれ、デジカメで撮った写真はリサイズのみならず色調補正までされPCのフォルダに保存されていた。
そういえばカーペットの血は食器用洗剤をティッシュに含ませ根気よく叩いた気がする。
デジカメとPCを繋いで写真を取り込み色調補正かけたような気もする。
起きた後も足元が危ういくらい薬をのんでいたのにこの几帳面さ。
普段から几帳面な方ではあるが潔癖という程でもないと思っている(実際部屋は片付いてはいるが棚や抽斗の中は適当にぐちゃっとしている)のに、なぜフラフラで記憶無くしてまで片付けているんだ……

 

自身の狂気というものは傍から見たらどうでもいいところにこそ感じるものではないだろうか。

 

初夏

気づけば春も過ぎようとしている。
私は相変わらず風邪も引かずに毎日健康(身体が動かないことを除けば)。

 

前の記事を書いてからまたいくつか事業所の入れ替わりがあった。
障害支援の方にも相談員(介護のケアマネージャー的な役割)がついてくれるようになって、ずいぶん楽になった。
相談事業を行っている事業所を選んでくださいという紙が役所から来た時、私は大きめの株式会社を選んだ。
結果、正解だったようだ。非常によく助けていただいている。
ヘルパーさんたちの言によると、ケアマネージャーもピンキリではあるが相談員の方は輪をかけてあまり頼りにならない人が多いらしい。
まださほど重きを置かれていない職なのだろう。
こういう場合、非営利の団体に所属する人は利益を上げることより気持ちで動くイメージがある。実際非営利団体と関わったことはないのだけど。
利益を意識して働く人のほうがきちんと仕事をしたり、また働いてくれない場合上に話を通す窓口も機能していたり…とにかく対価に見合う責任を持ってもらえる。
気持ちで動いている人はクレームに対し「でもあの人もカイさんのことはちゃんと考えてる」などと言ってきたりする。らしい。
介護は気持ち抜きでできる仕事ではないが、気持ちだけでできる仕事などない。
非営利だと気持ち「だけ」ではないにしろ、利益の意識が薄いと責任感に差が生まれても不思議はないと思う。
もちろん頼りになる非営利団体もあって当然だし、株式会社でズブズブのところもあるだろう。
この団体はそんなじゃないよ!などのお知らせは要りません。

 

さて、訪問介護事業所を結構な数見てきたので、事業所を選ぶ時に気をつける点を書いてみよう。
あくまでも私の個人的な視点であることはご留意いただきたい。
「こんな訪問介護事業所は避けたい 7つのポイント」

  1. 事業所名に管理者の下の名前が入っている
    管理者がワンマン気質で、社員や登録ヘルパーとの協調がうまくいかない事業所である可能性がある。姓だけならよくあることなので気にしない。
  2. 名刺が安っぽい・手作り感溢れている
    名刺にお金をかける余裕がない=規模が小さく社員が1人辞めたりするとそれまでと同じサービスが提供できなくなったりする。
    結果、入ってもらっても短期間で撤退することになりがち。
    介護業界だけじゃなく名刺は大事。名刺が安っぽいと安く見られる。
  3. 契約書(重要事項説明書含む)に不備がある
    具体的には綴じていない・割印がないなど。最悪だったのは綴じも割印もない契約書からサインするページだけを抜き出して渡されたこと。しかも重度訪問介護なのに居宅介護用だった。幸いその事業所は1度もサービスに入らず撤退する羽目になったのでサインした部分を返却してもらいこちらで処分した。
    他のケースでは、一切説明もなく署名欄を開いて渡され「拝見してよろしいですか」と言って確認すると「サービスは別表のとおり提供する」とあったので別表を見たら空欄。こういう、契約手続きをまともにできない管理者は運営も信頼できない。1週間で撤退した。
    恐らく管理者が説明しようとしても利用者から「もういいよ、どこにサインするの」と言われたりするのだろう。しかしだからといって初めから説明を省いてもいいわけではない。
  4. サービス提供責任者がサービスに入らない
    これは事前にはわからないことだが、管理者が契約時に来る以外登録ヘルパーしか来ないというのは異常なことだ。当然バックアップがいないのでいきなり電話で「今度ヘルパーが休むけど代わりがいないのでどうしよう」とか言われる。
    普通は事業所で考えることだ。
  5. 複数のヘルパーが事業所のことを悪く言う
    言われるだけの理由がある。何しか揉めてるところは避けたい。
  6.  本社が謎
    管理者の上に本社があるというのは大きな会社では当たり前なのだが、その本社の方針がいまいちよくわからないと、私にもヘルパーさんにも問題がないのに「本社の意向で」といきなり撤退されたりする。これも事前にはなかなかわからない。
  7. 管理者がワンピースを着てサービスに入る
    「その服装は、ないわ」と言ってしまった。ガッツリ身体介護なのに…

 

細かいことを言えばもっとあるけどこの辺で。
あくまでも私見ですよ。

 

では、ごきげんよう。

 

 

 

気づけば冬

夏に記事を書いたきり、先日まで秋だったが唐突に冬になった。
冬は着るものも増える、必然的に洗濯物も増える。
介助量も増えるのでヘルパーさんには申し訳ない。
例年は入浴しない日はベッドに入る前に足浴をしていたのだけど、
足浴しても芯までは温まらないし、あっという間に冷えるしなぁ…と思い、
それをすっ飛ばして充電式湯たんぽを導入してみたが、
確かに足に湯たんぽが当たっているのに温かいのかどうかわからないほど足が冷えていた…。
ようやく温かさがわかるようになったのがベッドに入って5時間後。
足浴はすべきなのだろうか。面倒だなぁ。

 

それはさておき。

前回の記事以降またいろいろあった気がする。
いろいろとは主に訪問介護事業所の入れ替わり。
次に入る事業所があるのならこちらとしてはあっさりしたものだが、
小さな事業所は内部で揉めていたりして大変そうなところもある。
介護に対し情熱的すぎるのも、事業として成り立たせるにはちょっと…という感じがする。
適度にビジネス感覚を維持しないと、対利用者でも対社員でも厄介なことが多くなりがち。
「金さえ儲かればいい」も「人の役に立ちたい」も等しく、
全面に押し出すのはどうかという話なのだ。
後者は美しい精神のように思えるけれど、
仕事である以上採算度外視の滅私精神は迷惑にもなり得る。
特に私のような人間がクライアントの場合は。

 

それもさておき。

新しく来始めた事業所のヘルパーさんがまだ日も浅いころ、
トイレ移乗に失敗してこう言った。
「無駄にリハビリさせてすみません」
私はこう答えた。
「これはただの無理な姿勢であってリハビリではないです」

 

この話を親にしたら「そんなこと言わなくても…」と言われた。
まぁ親がそう言うのは無理もないかもしれない。
見当違いな提案をして「リハビリになるだろう」と言うこともしばしばだ。
だがしかしヘルパーさんや、それ以上に病院の看護師さんにこういう人はたくさんいる。
すなわち「なんでもリハビリになると信じている」人。
あのねぇ。あなた方は私の関節や筋肉、どこがどうなってるのか全然知らないでしょう。
不足している筋肉を補うために無理に他の筋肉を使って姿勢を維持している場合、
それはただ痛めているだけで鍛えてはいない。
それを知らずに、知る気もなしに、私が力んでいれば「リハビリ」と言うのはマジやめて。

医師や療法士はそんな杜撰な言葉の使い方はしない。
悪気がないことを以って許されるべきとされるのは(この件に限らず)もうんざりだし、
こういうことを言われて不愉快になるのが私だけとも思えない。
私ほどあからさまに言う人は少ないかもしれないけど。

しいて思い出せるイラッとしたことがこのくらいなら(あとは忘れた)、
概ね平和な日々が続いているようだ。
風邪も引いてません。
皆様におかれましても、お体にはお気をつけて。

 

 

気づけば8月。
今日は長岡花火の日だった気がします。
Ustで中継を見ようと思っていたけどすっかり忘れていました。
というか体調があまりよくなくて、そんな気力もなかった。
私は長岡花火の解説が好きです。
FM長岡のパーソナリティさんと花火師さんがいろいろ言います。
「これはいい椰子ですねえ」とか、「花火は上がるときの笛の音も大事です」とか。
あと打ち上げ前のアナウンスも好きです。
明日もあるはずだから見よう、明日こそは。
プログラムを見たらナイアガラと同時に正三尺3連発とかありました。
かなりの気合いですね。


自分の存在を薄めて薄めて、誰からも忘れ去られたいです。
私に関わる福祉や介護関係の人は無理ですが、友人知人からはフェイドアウトしたい。
でも明日友人が家に来てくれるそうです(笑)。
彼女は構いません。
ネットで知り合ってもう10年になりますが、私も彼女もそれぞれの消えたい気持ちを否定しないお付き合いです。
もうひとり、そんなような男性がいます。たまに東京から遊びに来られます。
こういう方法は甘いですよ、こうした方がまだ確実なのでは…などという話を笑いながらします。
彼らが行ってしまったら寂しいけれど、私も彼らも、自分にできる選択をする外ないのです。
人は幸せにならなきゃいけないと、多数が想像する幸せを実現すべきという脅迫にも似た前提を置かずに話せるので楽チンです。
そしてこの2人とは、知り合って10年経っても何故か敬語で会話してしまいます。
なかなか不思議な友人たちです。


最近うまく自分の存在を薄められていると思います。
単純にツイッターの発言頻度を落としただけですが。
でも私は自力で死ねないので、ここが更新されなくても心配は無用です。
いやそもそも心配する人もいないでしょう(笑)。
たいてい私は健康です。
ちょっと疲れていることもありますが、そんなことはいつか過ぎ去っていくのだし、取るに足りないことです。
Androidシムシティに勤しんだりしていれば、全部過ぎ去っていきます。

毎日平和で、時間はあっという間に過ぎていきます。
満たされた日々に、私は透明になっていきます。
とても嬉しいことです。


ロホクッションパンクの原因

昨日の深夜書いた記事は、寝て起きたらどうでもいいというか、いい訳じゃないけどわざわざこんなところに書くようなことじゃないなと思ったので非公開にしました。

読んでしまった方、スター下さった方申し訳ないです。
 
それよりずっと前に書くべきことを書いていなかったことに気づきました。
ロホクッションのパンクの原因です。
至極単純な話で、スライドボードをロホクッションの上に置いて移乗してたから、でした。
スライドボードの注意事項に「エアクッションをご使用の場合はクッションの下にボードを差して移乗してください」とあったのですが、
私の場合はクッションの下に差してしまうとクッションの上に上がる力がなくて移乗出来なかったのです。
病院でも上に置いてたしまあいいか、と思って使っていたのが間違いでした。
ベッドから車椅子への移乗はベッドの高さを上げて、車椅子の上に滑り降りる感じになります。
私のおしりの下にあるボードは当然クッションにめり込みます。
そこでロホクッションの上に普通のクッションを敷いて、直接スライドボードがロホクッションに当たらないようにしました。
移乗してから普通のクッションは抜きます。そのままでは座面が上がりすぎるので。
車椅子からベッドへの移乗は、ベッドを下げて車椅子からベッドに滑り落ちる感じです。
当然ベッド側にスライドボードがめり込みますのでロホクッションへのダメージはありません。
この方法をとってから、ピークで1ヶ月に3回あったパンクは1年数ヶ月で 1回もありません。
使用方法はきちんと守らないといけませんね。
 
去年の夏には買い換えないといけないのではと危惧しましたが、この調子ならまだしばらく使えそうです。
今年の8月で4年になります。
(5/14追記:5年と書いていましたが間違いでした)
 
以上、遅すぎる報告でした。