満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

病気の経過

さて、前回の記事で私がギラン・バレー症候群になったことは書いた。このブログには主に利用者から見た介護業界のことを書きたいと思うのだが、どこから始めたものかな。

介護の前に医療の話を少し。
入院期間は11ヶ月。よくなっての退院ではなく、急性期病院だったので追い出された。

長期のリハビリを必要とする患者は、初診(か、診断確定時かちょっとわからない)から3ヶ月以内に回復期病院に転院した方がよい。急性期病院に居られるのは確か基本3ヶ月、長くて半年とか。それは制度で決まっているそうだが、私が11ヶ月居られたということは例外は認められるのだろう。回復期リハビリ病院なら1年とか2年とか居られるし、その間リハビリを受けられる。

ところがだ。私がギラン・バレー症候群ではないかという話が出たのは発症から1ヶ月後だった。発症前すでにかなりの重体だったので、運動機能障害も自殺未遂に起因するものじゃないかと考えられたのだ。普通ギラン・バレー症候群の人は健康な状態から急速に運動機能障害が出る。そのちょっと前に熱を出したりしてるが、ほとんどの場合そこからは回復している。だが私は寝たきりの状態で発症した。すぐにギラン・バレー症候群には結びつきにくい。だから医療ミスだとは思っていない。

ギラン・バレー症候群は脱力が進行してる間ならそれを止める治療法がある。血漿交換とかグロブリン投与とか。もちろん私は受けていない。発症から1ヶ月後じゃ遅すぎた。そうなるとリハビリをしながら自然に回復するのを待つ以外にない。薬はビタミン剤のメチコバールを処方されるくらいで、気休めみたいなものだ。主治医が交代する際の手続きのミスでリハビリ科に移ったのはさらに1ヶ月後だった。

大体の症例ではポン、ポンとよくなる段階があるそうだ。実際にあとからきたギラン・バレーの患者さんは3ヶ月ほどで退院していった。

私は発症から8か月でやっと寝返りができるようになり、食事が自力でできたのはいつだったかな、同じ頃か。ポータブルスプリングバランサーという、腕をぶら下げて重力を軽減する装置を使って訓練した。
トイレも2人介助だったが、退院に向けて1人介助でやる方法も編み出した。

病院は忙しいので看護師さんは怖かった。看護師の顔色を伺う日々だった。

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