満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

生き地獄とは言ったけど

今の私の暮らしは何も不自由ない。満たされている。

 

誤解しないでいただきたいのはこれはあくまでも「私の場合」である、ということ。すべての身体障害者がのんべんたらりと生きているわけではないし、働かなくていいけどトイレも1人じゃ行けないよという状況を幸福と思えるかどうか、想像してみたらそれは嫌だと思われる方が恐らく多数じゃないだろうか。

さっきも文庫版の漫画を読もうと試みたのだけど、なかなかいい位置で持てないので読み進むのに苦労して、40分で1/3しか読めなかった。こういう時はまぁ不便だなと思う。もっと大きい本だったらテーブルに置いて上から覗き込まないと読めない。首が痛くなる。スタンドを買ったとしても手の届くところに置いておけないから好きなときに読めないなあ。でもそれは本自体も同じだから買ってもいいかもしれない。

 

今よりも、身体は自由で精神が病んでいた頃のほうがずっとずっとずっとずっと、どれだけずっとをつけたらいいかわからない程つらかった。苦しかった。今は精神的にはほぼ健康である。もし簡単に合法的に死なせてあげるよと言われたら殺してもらうかもしれないが、死にたいというほどではない。自殺未遂を繰り返す人は多いけれど、私は1回で気が済んだようだ。

精神障害者は身体は動く(重度の人は動かなくなることもあるが、機能的には動くはずということになっている)。見るからに重症でなければ「何甘えてんの、みんなつらくても頑張ってんのに」って思われることもあるだろうし、何より自分がそう思う。自分を責め続けて苦しくなる。終わりがないように思える。死ぬまでこの苦しみは続くのか。いっそ死ねたら。死んだほうがいいのに生きててごめんなさい。これ、今となっては過去のことなのであっさり書けるが、呪詛のように重く纏わり続ける。

どんな言葉を尽くしても精神障害のつらさは語れないような気がする。それは今の私のものではないからかな。記憶の中の苦しみは薄れていく。そして今の私の身体障害は、悪化しないし固定もしていない。まだいくらか、良くなる余地はある。一生走れなくても、1人でトイレに行けるようになる可能性はゼロではない。もし症状が固定しても、悪化しないなら意外に人間は「慣れる」。不自由なりにどうやって日常生活を送るかだんだん決まっていって、想像ほど大変じゃないなあなんて思う。私が「今の状態から変わりません。一生このままです」と言われたとしてもそうかあ、日本の福祉がよっぽど破綻しない限り生活保護受けられるな。って思うだけ。

こんなに能天気なのは、私の場合は身体障害者になると同時に精神疾患がほとんど消えたからで、みんながみんなこうなるわけじゃない。逆に身体障害者になったことで精神疾患が生じる・悪化するケースもあるだろうから、決してこれを読んでこういうものだと思わないでほしい。くどいなあ。でも私の文章を読んで身体障害者のつらさを過小評価されると困っちゃう。本当に苦労してる人もいるだろうから。

 

車椅子で手も不自由そうにしてる私を「怠け者」って責める人には会ったことがない。自分を責める気持ちもずいぶん減った。わかりやすい障害者になったことで、私は精神の自由を手に入れたのかもしれない。