満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

無駄に高学歴

本当に、今となっては無駄でしかない。自慢ではなくて「それでもここまで堕ちるのだよ」という話として読んでいただきたい。

 

無駄に高学歴とは言ったが、一般から見てどちらかといえば高学歴と言われるだけで有名大学とかではない。そこそこの公立大学の、大学院修士課程修了である。それなりの歴史もあるところだが、全国的な知名度はどうだろう…私自身のイメージでは一流大学ではない。うーん、私が入学した時、文学部の偏差値ボーダーは64、倍率は5倍だったといえばイメージ湧くかしら。小学校から全部公立、塾も行ったことはないし、親は決して教育熱心ではなかった。うち貧乏だし。

何となく文学部に入って適当に専攻を決めたが、割とまじめに勉強はした方であった。専門の授業ほとんどAで通った程度には。そしてみんなが就職活動を始めた時、私は死にたくて仕方がなかった。だから大学院を受けた。死にたいのに就職活動なんてできないよ。大学院受験は筆記と面接1回で済むもん。ただ筆記の1科目が全然できなくて、面接の時に先生に怒られた。「君は何がしたいんだ」と言われて「死にたいです」と言いたかったけど言えなくて半泣きになったら、可哀想に思われたのか通してくれた。修士の2年間で死ねるだろうと思って、時間稼ぎのための進学だった。

何もしないという選択肢はその時の私には許されていなかった。私が許さなかっただけ。なぜか積極的に学会や研究会には参加した。環境のせいだろうな。国際学会で発表したこともある。英語喋れないのに。ポスター発表だから適当に乗り切った(書くだけなら当時はできた)。運よく周りの人が東大の人ばっかりで、日本語で喋ってる間に受け持ち時間終わった。私が自分の発表に関して喋った英語は「57cm」だけだったと思う。そんなでも先生の教え子(私の10~20年くらい先輩)の実験の手伝いをして論文に名前載せてもらったりしたので、今でも自分の名前を検索するとちょこちょこ研究関係のものがヒットする。論文は修論以外1本も書かなかった。

修士の2年間で死ねなかったが、とある出会いにより覚醒して(ここにエレキコミックのやついさんが出てくるが詳細は割愛)「そうかフリーターになってもいいんだ」って気づいた。いろんな都合でその大学では博士課程に進学できなかったので先生が進学先を探してくれていた最中、ある日突然私が「進学はしません、占い師になります!」と言ったら先生は爆笑した。「勿体ないけど研究したくないなら仕方がないな」と、他のお世話になってた人たちも言った。研究者にとって最も重要なのはモチベーションであることを、彼らはよくわかっていたからだ。

 

大学院を出てからは大学で先生(指導教官だった先生ではない。他学部の先生を紹介してもらった)の秘書のバイトをした。何でも屋さんである。研究費の帳簿つけたり、銀行に行ったり、シンポジウムの事務局とか、プログラムのアルゴリズムを考えるとか、挙句には紀要論文の一部分も書いた。全く専門分野が違うので勘弁してください、所属もないし、と言ったけど先生はノリノリで、我ながらなんじゃこりゃっていうのを書いた。時給800円の仕事じゃないだろうと周りの人は笑ったけど、生活していければ仕事は楽しいのでよかった。

他にも、指導教官だった先生のポケットマネーでお手伝いもした。大きな声では言えないが、非常勤先のテストの採点とか、簡単な授業を代わりにやるとか。授業といってもテキストに載ってる実験を手順通りにやらせるだけ。そういうことは先生より若者のほうが手際がいい。

占い師もやった。HPを作って格安で依頼を受け付けた。バイト暮らしの2年間で貰った依頼は数件だったし、1000円の依頼でも何日もかけて依頼者が納得できるまでメールのやり取りをしたので労力と報酬は見合っていなかった。まあ趣味だ。

 

とりあえず博士課程に進学しなかったのは正解だった。研究職も(私の専門だった分野は)就職難なのだ。非常勤講師で食いつないでも、私たちの専門は実験できないと業績が作れない。非常勤では実験できる場所はない。業績がなければ就職できない。こうなるともう抜け出せない。また、博士課程に進学すると莫大な奨学金を借りることになる(普通は)。引き返せなくなるのだ。

 

文学研究科で修士号取ったって一般企業に就職しようと思ったら役には立たないし、むしろ大学院卒ってことで給料高くなるから敬遠されることすらある。次回はバイト暮らしに甘んじてちゃダメかなあと思って就職してみた話を、多分書きます。