満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

就職してみた話(10年前)

大学でのバイト生活は楽しかった。貧乏だけど、自宅から徒歩10分の大学と徒歩3分のスーパーと徒歩5分のコンビニで生活が完結してたからやっていけた。元々私はきっちり家計簿つける倹約家だし。仕事が暇な時はPC触って遊んでるけど、やる時は他の秘書さんじゃできないレベルのことをやってたのでそれなりに自分の存在価値も見出だせた。

 

この文章読んでる人はわかると思うが、今の私は頭が悪い。これが最近の悩みだ。自分が大学でのバイト時代にやった仕事を思い出すと、我ながら信じられない。よくそんなことやったな!ってことが多々ある。今はできない。身体が動かないせいもあるけど、頭が働かないしやる気がない。

 

話を戻そう。バイト暮らしは楽しかったが、26歳を目前にした頃ふと「うーんこのままじゃいけないかなあ、就職してみたほうがいいかも」と思った。年金も払ってなかったし、奨学金ももちろん返してなかったし。ここに至るには他にも複雑な事情があったのだけどそれは書けない。

とにかく、エン・ジャパンに登録して、学歴不問の正社員の募集を探した。学歴不問なら院卒でもいいかなと思ったからだ。院卒は給料高くなるからイヤ、とか言われないのが本当の不問だと思う。文学部なんて役に立たないとか言われないのも。

誰も私を知らないところに行ってみたくて、東京の会社に応募した。説明会があります、面接は別日程。とあったが、「遠方から行くので面接していただけないでしょうか」ってメールしたらあっさり了解してくれた。そして説明会の日上京して、社長と専務の面接を受けた。これが私の生まれて初めての就職活動。

私が占い師の話をしたら、社長がいたく気に入ってくれて一発で決まった。別に占いに興味を持たれたわけではなく、占い師として相談者の悩みを軽減したいという姿勢と、販売業でお客様に喜んでいただこうと思う姿勢は似たようなものだと思う、というところが気に入られたのだろう。大阪に店舗を出す予定なのでそのオープニングスタッフに、ということで採用された。

半年ほど東京の百貨店に入っている店舗で研修をした。仕事は真面目にやった。成績はよくもなかったけど、ダメってほどでもなかった。運が良くて社内の新人賞を貰ったこともあった。研修が終わって大阪に帰る時、私が担当していたお客様に電話で担当者引き継ぎのお知らせをしたのだけど、わざわざ会いに来てくださった方が何人かいた。そういうことを客観的に見れば、悪くはなかったのだろう。

大阪でオープンした店は、東京とは全く異なる環境と客層だった。東京の店はお金持ちの人が来るところで、大阪はガラの悪いところだった。今は大阪でも百貨店に直営店が入っているけど、当時はOSで他の店の一部を借りての出店だった。接客の仕方も考え方も全く異なる会社に間借りしてる状態じゃ衝突もあったし、東京みたいにうまくはいかなかった。

そのせいだけじゃないんだろうけど、大阪店がオープンして3ヶ月くらい経った頃、私は「お客様に姿を見られるのが怖い」と言って隠れてしまうようになった。何じゃそら。そんなのが存在するのは漫画やアニメの世界だけである。もちろん自分でもそれでいいとは全く思えなかったので、店長に辞めたいと言った。しかし本社の対応はとても親切で、東京から人事の人がわざわざやってきて私の話を聞いて、「1日に数人しかお客が来ないような地方の店舗もあるから、異動してみてはどうか」と言ってくれた。脅しとかじゃなく(本人が辞めたいと言っているのだから)、私のことを考えての提案だった。けど私はもう訳がわからなくなっていて、「いいです辞めます辞めます」の一点張り。

結局入社から11ヶ月で辞めてしまった。いい会社だったので、あの時続けられてたら私の人生もっと真っ当なものだったんだろうなと思う。でも頭おかしくなるのはどうしようもなかった。あと、月給20万以上もらうと不安になる。それだけの仕事ができてるかしらって思って泣きそうになる。新人は給料分稼げなくても当然って思うことができなかった。あと、やっぱり院卒ってことで若干お給料高かったので、それも申し訳ないと思っていた。

 

その後2ヶ月くらい経ってweb制作会社に入った。それからは元メンヘラに書いたとおりである。ここも研修期間終わったら20万くれたので(ただ残業手当は一切なかった。1年経ったらボーナスで還元するということになっていた)、やっぱり泣きそうになった、ていうか泣きながらクビにしてくれって言った。一般的に見たら高給ではなかったはずなのにこの体たらく。手取りで言えば17~18万なのに、自己評価が低すぎる。

 

つまり私は、真っ当に生きられない社会不適合者なのだと思う。時給800円だと安心するけど生活できない。結局生活保護を受ける羽目になった。身体障害者になって「私にはできない」って明らかなことがいっぱいできて、私は安心した。できなくても仕方がないって自分に言える。誰も私を責めなかったけど、自分は自分を責め続けてきたから。

 

でも、やっぱり怠けてるだけかなっていう気持ちも少しは残ってる。

ほとんどは、気楽に生きているけれど。