満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

価値観の異なる者が混ざると群れは成長する

タイトルは録画したアニメ「銀の匙」を見ていたらでてきたセリフ。

これはただ単に混在するんじゃなくて、異なる価値観の者同士が意見を交わすことによって集団に多様性が生まれるということだと思う。

逆にいえば、そばにいても「あいつの言うことは意味がわからない」と言ってそれ以上話すことをやめてしまったら、成長はしないだろう。

理解しきれなくても、異なる価値観が存在していることを知り、自分と何が違うのか、なぜ違うのか、自分はどうしてそう思うのかなど、たくさん考えることにつながれば何かしらの変化はあるのではないか。自分の価値観は変わらなくても、その根拠を明確にすることはできるかもしれない。それは成長だと私は思う。

 

私がはてなのアカウントを取った理由は、id:luvlifeさんの「私のいる世界→追記の記事2つあります - ひきこもり女子いろいろえっち」をたまたま読んで、すごく興味を持って彼女のブログを最初から読んでいくうち、コメントしたい記事があったから、である。もう彼女のブログはコメント欄が閉じられているけれど。

そういう簡単な理由で入ってきたので、はてなのシステムがわかっていない。ブックマークもあんまり使ってないし、ブログも最初は書くつもりはなかった。言及されたら通知があるってid:luvlifeさんが書いてらしたけど言及って何か書式があるのかな。ブログにリンク貼るだけで通知が行くのか。このブログが言及されたことはない(そんな通知は来たことがない)ので分からない。

で、昨夜彼女の「正しいえっち」という記事に支離滅裂なコメントをしてしまい、レスを頂いたので、夕食や清拭というヘルパーさんとのスケジュールを挟んで長考したコメントを書き終え、投稿を押したらコメント欄が閉じられていて、消えた。でもその時書いたことをまとめておかないと、もやもやする。id:luvlifeさんへのコメントというより、自分の思考の記録をここに書いておきたい。

 

その前にちょっと言い訳。

ここ2年くらいかな、身体障害者になって病院から退院して、のん気な暮らしになってから特に感じるのだけど、思考の言語化がものすごく下手になった。何かは考えているのだけど、感じているのだけど、それを他者に伝わるようにアウトプットできない。もどかしい。

一面にはそういう努力をしなくなったという事実がある。元々私は文章を書く時、何回かに分けて細切れに時間を使うのが非常に苦手である。書き始めたらそのテンションで最後まで書かないと乗り切れない。ところが今の生活は、食事やトイレや何やかんやの時間がきっちり決まっていて、ヘルパーさんがやってくる。ヘルパーさんがいても文章は書けるけど気は散るし、スケジュールを大きく変えることはできないから、昔みたいに8時間ぶっ続けでPCの前にいることはできない。

もう一つの要因に、確信は持てないけど老化がある。のではないか。年齢だけじゃなく、のん気過ぎる毎日が頭を悪くしている気がする。読書量も減ったし、頭を遣うことがなくなった。意欲がないのかなあ。寝過ぎかもしれない。

言い訳はもうやめておこう。

 

本題に入る前に長くなっている。

 

相思相愛じゃないと、誠実じゃないっていう責められ方する恋愛って、私は相手を思いどーりにしたがる奴隷と変わらないと思う。

 

私は先に挙げた記事のこの一文に引っ掛かりを感じた。否定ではない。引っ掛かりである。

どちらかと言えば私個人の考え方は彼女に近い。自分が好きな相手に、自分が求めるものと同じだけのものを返してほしい、という人は私の周りにもいるけれど、私は「自分が相手を好きだと思う気持ちがあればそれで十分で、同じものを要求することに意味を感じない」というタイプである。じゃあ何が引っかかるのか。

一言でいうと理解の努力である。

あるいは、理解されようとする努力。

相手に自分の理想を重ねる男性がいて、自由でいたい女性がいるとする。この2人がお付き合いをしているならば、多くの場合価値観の相違という壁にぶつかるだろう。その時、お互いに自分の考え方を説明する努力をしていなかったとする。仮定ですよ。

そういう場合、相手を思い通りにしたいと思う方が、相手の人格を無視して奴隷扱いしている、と表現することに違和感を感じた。(ここでの「奴隷」という表現には、「相手の人格を無視する」という私の解釈が生じている。)

自由でいたい方は、自分の考え方をお付き合いしている相手に理解してもらえるよう努力して、説明し尽くして、理解を得られなかったなら「奴隷扱いしている」と言えるかもしれない。

けど、「どうせこの人には話しても無駄」と思って理解を求めずに「奴隷扱いしている」と表現するなら、非常に違和感を感じる。相手に歩み寄る機会を与えずに壁を作るのであれば、それも人格を無視することとそんなに変わらないことだと思ったのだ。

「彼には私を捨てる自由もあるんだから、何の束縛もしていない」というのは正論だ。しかし交際というものは、人間関係というものは、お互いが相手を理解する/理解できなくても認める努力をしてこそ「対等で自由な関係」が成り立つものだと思う。一方が努力を放棄したらそれはすでに対等ではないし、対等でないなら自由とも思えない。選択権があるんだから自由でしょ、と一言で結論付けることは私にはできない。

 

やっぱりうまくまとまらなかった。

この文章の前提としての「理解を求める努力をしていない」というのは、私が記事を読んで抱いた一つの印象であって、彼女の実際の人間関係に関する事実では決してない。また、「彼が彼女を奴隷扱いしている」と「彼女が」言ったとかそういう事実もない。ので、これはid:luvlifeさんへのコメントではなく、あくまで文章を読んで私が考えたこと、読書感想文みたいなものだ。

 

そろそろタイムリミットだ。

最後に今日のほぼ日の「大人の小論文教室。」へのリンクを貼っておく。

勉強になる言葉がたくさん詰まってるけど、1回しか読まなかったらまた忘れそうだから。

 

 

 

 

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