満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

3年は長いか短いか

今日でギラン・バレー発症してから丸3年経った。多分。脱力が始まる前から自力では起き上がれなかったので、いまいち何日が発症かわかっていない。書類上は9月15日になっているけど、それは救急病棟から精神科に移った日で、確かその3日後に脱力が始まったと記憶している。

 

今月は私の命日(自殺未遂した日)もあったのにすっかり忘れていた。考えてみれば3年って結構長い。しかし今になってみれば「あっという間だったなあ」という感想になる。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこういうことかしら。

発症当時は本当にもう、指1本動かなかったから1日が長かった。特に夜が怖かった。体中痛くて眠れないのだ。全く力が入らないのに感覚は普通という状態はとても辛い。褥瘡(後述)のせいで横向きに寝ないといけないのだが、腕や足がとんでもなく重く、関節にものすごい力がかかる。その痛さは精神科の看護師が想像できるものではなかったようだ。私が苦痛を訴えても「また何か言ってるわ」っていう対応は少なくなかった。

 

(この先ちょっとグロいかもしれません。私にとってはなんともない内容だけど、苦手な方はやめたほうがいいかも。空白行まで)

 

その頃は深い褥瘡(じょくそう)があった。意識不明の数日間に、腰の最も体重がかかるところ(仙骨のあたり)に床ずれができたのだ。床ずれっていう言葉からどんな状態を想像するだろうか。恐らく普通の人の想像より酷い。治るまでに4ヶ月かかった。

ギラン・バレーを発症する前か後かはよく覚えていないが、救急の先生たちが病室で壊死した肉を除去する処置をした。死んだ肉は切り取っても痛みを感じない。「痛かったら言ってね~局部麻酔するから」と言われ、パチンパチンと切り取る音がした。「あっそこは痛いです」というと「ここは生きてる」と言って処置が続く。終わったら先生がこう言った。

「今、死んでるお肉を全部取りました。おしりに小さいハンバーグくらいの穴があいています」

小さいハンバーグ…?ハンバーグなんて好きな大きさに作れるからいまいちピンとこないなあ。と思ったけれども、言わなかった。

まあそんなこんなで空いた穴に、スポンジを詰めてバック吸引という処置をしてくれた。スポンジに管を挿して上から傷をピッタリとフィルムで覆い、傷口からにじみ出てくる浸出液を壁に取り付けられたボトルに吸い上げる。この処置によってしょっちゅうガーゼ替えたりする必要もなくなるし、傷の治りも早くなるそうだ。

それでも傷は深かった。私は自分の褥瘡を(治った今も)見たことがない。が、上記の処置の後、たまたま見た看護助手さんが「うわあ…」と声を漏らす程度にはグロかったらしい。

 

(このあとはグロくありません)

 

尿もバルーンカテーテルで取ってたので、身体から2本管が出ている。しかも1本は壁に繋がっている。この状態で体位交換してもらうのはなかなか厄介だが、同じ姿勢じゃ1時間も耐えられない。看護師の常識でいえば「体位交換は2時間に1回は必要」程度の認識で、特に人が少ない夜間などは「他の人も看なきゃいけないのであなたにばかり時間は割けません」ということを何度も言われた。

少し眠っても、痛みのあまり汗だくになって目覚める。髪の毛が顔に張り付いて気持ち悪いが、それを除けることもできない。耳を澄ましてナースステーションのドアが開く時を見計らって叫ぶ。ナースコール押せなかったから。迷惑なのもわかってた。わかってたって痛みに耐えられる限度はそんなに変わらない。

 

つらつらと苦痛について述べたが、これらは過ぎてしまった今となってはどうでもいいことだ。

ただ、歯医者さんで歯と歯茎の間を掃除してもらうときに痛くても、「この痛みは30分ほどで終わる。あの苦痛に比べればなんてことはない」と思えるようになった。前から歯医者さん平気なんだけどね。

 

 

広告を非表示にする