満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

思いついたことをすぐに忘れる

平和ボケというのか、そうじゃなくてただのボケなのか。

 

大きな苦痛からとりあえずは解放されたので、
「満たされた者は声を上げない」モードになっている。
1ヶ月に1回位は更新しようかなあと思うけれども書くのが面倒くさい。
このブログに書こうかなと思ったことといえば、

  1. 自殺するのは弱いからだとわざわざ言う人は誰に向かって何のために言っているのかという疑問
  2. 両下肢全麻痺の人の移乗介助のポイント

他にも何かあったような気がする。

 

2については書けばいいのだが図解なしではピンと来ないと思うので、
図を描くことを考えるととっても面倒くさい。
何を使って描くのか…このPCにはふっるいIllustratorが入ってるけど私はいまだに使い方をよく知らない。
知らないながらも必要な図くらいは描けるだろうが(ベジェ曲線と図形ツールの組み合わせでいけるだろう)とにかく面倒くさい。
1は書くことに意味があるかなと考えると別にないっぽい。
もちろん今までも書く意味ねえなっていうことも書いてきたし、
そもそも意味なんて読み手によってあったりなかったりするのでそこを基準にすることに無理を感じる。
いずれにせよ、面倒くさい状態ではそんなに強く主張したいことでないのなら書こうという気が起こらない。

 

と、すでに意味のないことを書いてしまったので、ついでに書くことにした。
「自殺するのはそいつが弱いからだ」みたいなことを書いているブログを読んだ私の感想。
否定する気はないけれど、それを言ってあなたは何がどうなると思っているの?
私に関していえば、自殺を試みた時も今も間違いなく私は弱い。
精神的に(肉体もだが)弱い。豆腐メンタルだ。
私以外の直接知ってる自殺を試みた人も強くはないと思う。
つまり否定する材料を持っていない。
むしろ「え、そうだけど。で?」という言葉しか出ない。
ああ…今あらためて元記事読んできた。
他の人が「自殺をする人は弱いというのはナンセンス」って書いたことに対しての意見だった。
誰かの意見に反対意見を表明したいという気持ちは想像できる。
ていうか想像した。
のだが、こと自殺というデリケートな問題について、
安直な言葉でそれをするのはどうだろうか。
たとえ正論であっても死者に鞭打つことになってしまうし、
鞭打たれた死者は気づきようもないけど、身近な人に自殺された経験がある人は傷ついたり怒ったりするんじゃないの…。
他人が傷ついたり怒ったりすることと、自分の考えを表現したいっていう気持ち、
どっちをとってどうなるかっていうことですよ。
この問題については「弱くて馬鹿」っていう言葉を使うデメリットが大きすぎるように思える。
ただそれは私の視点での話であって、書いた人にとってどうであるかは知る由もない。

 

それと、馬鹿と決めつけるのは想像力がないんだなあと思う。
私は馬鹿ではないとはいわないが、他の人は寧ろ頭がいい人もいた。
ただ、精神的に追い詰められると思考の幅がものすごく狭くなり、
ある方向にしか進めなくなってしまう。
それが弱いということであり病気というものだ。
思考が固定されるあの感じ、自分でもこれはおかしいなと思いつつそこから抜け出せないどうしようもなさ。
それは想像しろという方が無理かもしれない。

ああ、「自殺する奴は弱くて馬鹿」と言ったら「おれは馬鹿じゃないし弱くない」って自殺を踏みとどまる人がいるんじゃないかとか考えたのかなもしかして。
仮にそういう意図があったとしても、恐らくは逆効果ではないか。
そこで踏みとどまる人はそれを読まなくても引き返せる人だろう。

 

生死去来
棚頭傀儡
一線断時
落落磊磊