満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

心を鈍くし、頭はそこそこ働かせるのは難しい

身体が不自由になってから、
苦痛を感じないために心を鈍くせざるを得なくなった。
まず、いろんな望みを諦めるため、
欲を少なくする。
「面倒くさいな」
と思うようにする。
どこに行きたいとか何を食べたいとかあんな服を着たいとか、
欲が湧いてきた時に、
それに必要なコストを想像して
「そこまですることじゃないな…」
と思うように。
コストはほぼ、介助者の労力と時間。
例えば食べたいものがネット通販で買えるものならば、
お金だけで済むので検討する。
でもどこかに行きたいとなると、
連れて行ってくれる人の体力と時間を奪う。
たとえそれが仕事のヘルパーさんでも、
イレギュラーな予定を組むと場合によってはヘルパーさんの休日が潰れる。
そこで対価が支払われるとしても、
それがヘルパーさんにとってどの程度好ましいこと/疎わしいことかを考えなければいけない。
ヘルパーさんにしてみれば明確な理由がないと断れないのは明らかだ。
親も気を遣って私の望みを聞こうとしてくれるけれど、
体力的にきついのは見ればわかる。
つまりはそもそも私が望みなど抱かなければ、
ただ心身の健康維持に努めていれば平和なのだ。

 

こういう過程をこなすことは、
頭はそこそこ働いていないとできない。
どれを諦めてどれを捨てるか。
周囲の負担にならない程度に望みを持たないと、
私を見ている人たちが罪悪感を感じることもある。
全てを諦めきってしまうとヘラヘラできなくなるだろうし、
どんよりした人間の介助はとても大変だ。
ある程度の望みを遂げさせてもらいつつ、
身体が動いていた頃にやっていた楽しみに対する執着を、
思い出を、
少しずつ薄くして、忘れて、
バランスの取れるところへ持っていく。

そんなややこしいことをしているなどと、
自覚すらしていなかった。

自覚しないままでいたかった。
相も変わらず私は幸せだと言い切れるけれど、
幸せを持続させるためにずいぶんとたくさんのものを削ぎ落としてきたなんて。
当たり前といえば当たり前か。

 

心を鈍くして傷つかないようにして、
頭を働かせて考える。

 

ほんとうの意味での頭は心とともにずいぶん鈍くなった。
それだけは少し悲しい。

 

 

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