満たされた弱者

重度身体障害者、生活保護受給中。

私の狂気

「何もかもぶちまけてすべて終わりにしてしまいたい」

 

何の脈絡もなく、こんなフレーズが頭に浮かぶことがある。
例えばテレビを見ながらごはんを食べている時とか。
では何かぶちまけたいことがあるのかなと思うが実際何もない。
この人生が(あるいはこの世界が)終わったらいいなとは思うけれどそれは今の私に何とかできることではないし、さほど強く望んでいる訳でもない。
だから、我ながら謎である。なぜこんなフレーズがぼこっと、水中で吐き出された空気の塊のように浮き上がってくるのか。

 

「好きだ。好きです。好きです。あいしている」

 

そして時には、こんなフレーズが頭に浮かぶこともある。
これは大体場面が決まっている。
ゆえに、何のことだか誰のことだか判然とはしないが漠然とは知っている。
多分、何かをつくる人、語る人、描く人、歌う人、そういう人たち。
アニメを見たり本を読んだりした直後ではないが、しばらく経ったあとだから。
いい作品に触れた時のほうが多いがそうでないこともある。
よくてもそうでなくても、つくった人たちの作業工程なんかを想像して感極まるのであろう。
あいしているは言い過ぎな気もするが、私は創造する人を尊敬している。
私にはできないことを全力だったり片手間だったりでする人たち。

 

私が自分を狂っているなと思ったのはまだ歩けていた頃のこと。
自傷行為を繰り返し、血塗れの腕の写真を撮りまくっていた。
ここは全然狂っていない。ふつうだ。
何が怖かったって、抗不安剤を大量にのんで腕を切りまくって、辺りを血塗れにして写真を撮って、寝て起きた時に完璧に後片付けがされていたこと。
カーペットについた血のシミは跡形もなく消えていた。
腕にはきっちり包帯が巻かれ、デジカメで撮った写真はリサイズのみならず色調補正までされPCのフォルダに保存されていた。
そういえばカーペットの血は食器用洗剤をティッシュに含ませ根気よく叩いた気がする。
デジカメとPCを繋いで写真を取り込み色調補正かけたような気もする。
起きた後も足元が危ういくらい薬をのんでいたのにこの几帳面さ。
普段から几帳面な方ではあるが潔癖という程でもないと思っている(実際部屋は片付いてはいるが棚や抽斗の中は適当にぐちゃっとしている)のに、なぜフラフラで記憶無くしてまで片付けているんだ……

 

自身の狂気というものは傍から見たらどうでもいいところにこそ感じるものではないだろうか。